編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.572 2015.04.11 掲載
    第35号
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第35号「槐(えんじゅ
号名  「槐」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和61年(1986年)9月30日
頒布方法 定価200円
表紙 写真とイラストの合成
 「ヒルサイドテラス前と犬と散歩中の外国人の絵」
表紙作成者 写真:一色隆徳(学生 祐天寺)
イラスト・畑田国男(漫画家 緑が丘)
デスクキャップ
一色隆徳(学生 祐天寺)

 サブ:杉村みゆき(学生) / 足立 将(学生)       
特集
 
特集 わが街シリーズ 代官山編(全46頁)

  
      表紙の裏ばなし      畑田国男

  代官山にヒルサイドテラスができた昭和45年はエキスポ70の開かれた年だと思う。

ABの2棟しかなかったけれど、豊かな緑の中の白いテラスが印象的だった。友人のカメラマンが猿楽町に住んでいて、レンガ屋で仕事の打合わせをし、ケーキもよく食べた。
 GFもこの近所の住人で、テラスを中心に代官山一帯が最高のデートコースでもあった。もちろん当時は超・穴場。
  C棟ができた昭和49年。山手通りのカトリック教会で結婚式を挙げた。雪のバレンタイン・デーのことで、白いテラスがさらに真っ白に見えたことを覚えている。
  新妻はC棟の『くらふと滝陶』へ入会し、長男を産むまでの数年間、沢山の陶芸作品を産んでくれた。その時の作品、灰皿、ペン置きなどは今でもボクの机の上にある。代官山とボクには、深い関係があったのである。

DE棟ができた昭和53年頃から急にアンノン族が増えてきたような気がする。彼女たちのご来場はウィークエンドに集中する。彼女たちのファッションショーを見物するのも楽しいけれど、ボクはウィークデーのふつうの代官山が好きだった。(今回の表紙絵はウィークデーの、一シーンです)
  代官山はギャルのメッカとして有名になった感じがするけれど、実は大人の街なのだ。テラスの他にも素敵なお店が沢山ある。史跡の多いこの環境と個性豊かな店々が溶け合って独特のフンイキを創り出す。こんなステキな街を、オリーブ少女たちだけに独占させておくのはもったいない、と常々思っていた。

「玄関らしい玄関がない。どちらが表で、どちらが裏かも分らない。誰もが風のように出入りできる不思議な魅力を持っている」とは近刊の拙書「ビル・ウォッチンク」で述べたヒルサイドテラス評ではあるが、この評は、そのままわが街・代官山にも通用する。

 風になった気分で、代官山へ遊びに行こう。特に、大人の方々よ。

   代官山ちょっといい話    岩田忠利

  私たちが代官山特集に取りかかろうとしていた頃、橋田壽賀子のテレビドラマ「渡る世間は鬼ばかり」がヒットし騒がれていました。テレビを観るヒマのない私は、そう、世間ってそういうものか、その程度でした。

先発隊の男女二人が1カ月近くも先に代官山に乗り込み、広告取りと情報集めに回り、その結果報告を私にしたのでした。

「編集長、ナウい代官山という街は『とうよこ沿線』みたいなダサイ雑誌は向いていません」と広告は一件の成果もなく、使えそうな情報も持ち帰らないあげく、そんな最悪の報告。
 「ご苦労さまでした。代官山って、そんな“鬼ばかり”なのかなぁ。でも、『とうよこ沿線』は代官山だけを飛び越えて他の街を特集するわけにはいかないんだよ」と私は二人に話しました。

いよいよ私たち本隊の代官山取材初日……。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」の諺どおり、代官山を代表する会社の社長さんのもとに広告提供のお願いに伺ったときのことです。なんと、快く広告をいただきました。そして帰り際、社長から“瓢箪からコマ”のような話が飛び出したのです。

「この暑い真夏、日吉から代官山まで毎日通って取材するのは 大変なことです。当社の福利厚生施設の一つ、同潤会アパートをみんなで使ってください」。

代官山の目抜き通りの一等地、駐車場付きの一室を無償でお借りできるなんて、スタッフも大喜び……。
 お言葉に甘えてお借りし、そこを拠点に代官山の街の隅々を
1カ月間回り、その部屋で食事、休憩、打ち合わせ、大いに助かりました。お陰さまで35号は全紙数76頁のうち、代官山特集に46頁をさく空前の大特集になりました。

あれから29年経った今でも、あの岡部社長のご好意を思い出すと、胸がジワーッと熱くなってしまいます。



活動拠点、同潤会アパートで食事中の代官山取材班





 号名「槐」とは…   

ヒルサイドテラスのある旧山手通り(最近は大使館通りとも呼ぶそうですね)の並木道。延々11.5キロ、豊島区まで植わっているのが落葉高木マメ科の槐です。

字を見ただけでは木偏に鬼、怖そうな木ですが、夏場に咲く黄白色の花は煙ったような華やかさがあり、若葉は干して茶葉に、実は生薬の薬用に、サヤは石鹸の原料に、また幹は器具や細工用に、といろいろと役立っています。
 昔は旧家の屋敷には必ず一
本はあった必需の花木でした。

もうすぐ秋、そろそろ槐の葉が色づき始める頃ですね。        (祐天寺 一色隆徳)










黄白色の華やかな槐の花

綱島西4丁目で撮影:佐野紀子さん(日吉)



マメ科の槐の実

元住吉の川崎市平和公園で撮影:岩田忠利
のっけからお詫びを

 第35号“槐”デスクキャップ
 一色隆徳(祐天寺・大学生)



同潤会代官山アパートにて。左から小田・岩田・斎藤・鈴木善子・生方・鈴木裕子・一色


西郷山公園にて。
杉村・足立




 予告の渋谷・代官山特集が「代官山特集」に

 まず、冒頭からお詫びをしなければなりません。前号にて「渋谷・代官山特集」を予告しましたが、今回掲載できたのは代官山のみとなってしまいました。

 沿線各駅の地域特集「わが街シリーズ」を始めて3年、全ての沿線住民が注目している、この2つの街を紹介するため、取材を開始したのが1月上旬。以来9カ月間、「元住吉」「奥沢」両特集号を世に送りだしつつ取り組んできたわけですが、この間の歩みは着実というにはほど遠いものでした。
  代官山・渋谷は、歩けば歩くほどに広く、大きく感じられ、取材は遅々として進まず、心理的にも苦しい時期もありました。

 しかし、夏場の最も苦しい時期、私たちの活動を理解し、実に様々な協力をしてくださる方が次々に現れ、取材は急速に進展しました。が、ここでまた困った問題が派生。沿線の代表的な街、代官山・渋谷を一度にとりあげるには、余りに誌面が乏しい……それぞれに分散し、2号にわたって掲載しなくては、満足なものを作れない…。こうした事情から、今号では代官山、次号では渋谷を取り上げることとなりました。

 何はともあれ、地元の方々の多大なご協力をいただき、代官山特集号を発行することができました。ありがとうございました。とくに渋谷地区の皆さまにはご迷惑をおかけしましたが、次号の渋谷特集ではスタッフの総力で取り組みますので、何卒ご期待ください。
  本号デスクキャップ・一色隆徳


 一般記事キャップ 杉村みゆき(妙蓮寺・学生)

 一色キャップも私も大4。本来なら就職と卒論で手いっぱいの夏のはずだったのに……。在学中で一番暑い夏になりました。代官山の次は渋谷。ゆっくり秋の気分にひたりたいけど、渋谷が終わるまで、私の夏は続きそうです。


 特集サブキャップ 足立将渋谷・学生)

 おまたせしました! といっても今回は代官山だけです。私の地元、渋谷の情報量の多さにはびっくり。誌面の都合上、このような形になりました。しかし、私は、この号のためデートもできない……。私の夏を返せ〜!

  

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