編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.569 2015.04.11 掲載
    第32号
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第32号「樫(かし
号名  「樫」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和61年(1986年)2月20日
頒布方法 定価200円
表紙 写真とイラストの合成
「慶應大学銀杏並木と福沢諭吉・男女学生の絵」
表紙作成者 写真:一色隆徳(学生 祐天寺)
イラスト・畑田国男(漫画家 緑が丘)
デスクキャップ 山本裕二(学生 菊名)          
特集
 
特集 わが街シリーズ 日吉編(全37頁)

  
      表紙の裏ばなし      一色隆徳

  今回は、『とうよこ沿線」の本拠地・日吉の特集です。
  日吉の地を端的に表現する風景は、なんといっても慶応義塾大キャンパス。そうなると、当然のことながら創設者・福沢諭吉が連想されることになります。これで、表紙のコンセプトは、いともあっけなく決定。

43万平米(約13万坪)という広大なキャンパスは、まさしく駅前に位置し、駅東口を出ると正面に銀杏並木が長く続いています。この時期の並木は葉のないこともあって、ちょっと寂しい感もありますが、ともあれ慶大の並木は田園調布や山下公園のそれと共に沿線の3大並木といえましょう。


      畑田国男さんの慶大おもいで話

  表紙絵の作者・畑田国男さんも25年ほど前、この道を毎日通った学生の一人。在学中は漫画研究会・映画研究会・パレットクラブ(絵画)に所属し、特に“漫研”での活躍は、畑田先生の現在の知的な作品に影響を与えているのではないでしょうか(などと自分勝手に理解してしまって申し訳ありません!)

「日吉キャンパスは三田より広くておおらかな感じでしたね。それは今でも変わってなくて、東横線で多摩川を越えると、ほっとするんですよ」と語る畑田さんにとって、日吉は思い出の地……今でもよく夢を見るそうです。
 「試験直前になって、ノートを借りるために必死に友人を捜して駆けまわってる夢なんです。広いキャンパス中をね……」

「夏休みの体育では自動車″を選択したんですが、これがまた大変! 猛暑の中、イタリア岬″(キャンパス北部の丘)の荒地で運転するわけですけれど、なにしろとんだポンコツ車で、思うように走らなくって……。とうとう“エンスト男”なんて異名をとってしまって、何度も車の後押しをやらされたものですよ」

表紙絵に代表されるような現在の学生とはまた一味違った学生さんだったようです。

ちなみに絵の中の噴水は畑田さんが「こんな噴水ができたら」という願いで描いたものです。日吉にも美しい駅前広場ができたらいいてすね。



「日吉は青春の地です」  絵:畑田国男

       21世紀の日吉駅はこう変わる?

  ところで、そのような駅前広場を含めた駅周辺の大改革計画を考え、提案している人がいるのです。
 内藤外科胃腸科の内藤哲夫院長その人で、2
年ほど前、『日吉の商店街を良くする会』の席上で、その案を発表、現在もなお、具体化に向けて思索中とのことです。

 
昭和48年の日吉西口駅前。東口へは右の跨線橋を渡って行きました

そもそも日吉は、駅前にキャンパスがあるという、全国でもおそらく唯一の環境を有し、大学や並木が街の美観づくりに大きく貢献しているにも拘らず、繁華な商業地の西口との間を東横線に分断されています。そのため、双方の往来、ひいてはコミュニケーションが阻害されることにさえなりかねず、それぞれの特長も生かされているとは言えないのが現状です。

そこで、現在半地下状の駅施設上にフタをして、その上を“憩いの広場”や酒落た店舗や道路とすることによって、東西を直結、それは即ち、東の美観(並木)と西の便利さ(商店街)を調和させることでもあります。

また、今後見込まれる人口増に対応するため、横浜線方面→ 港北ニュータウン→ 日吉→ 鶴見といった経路で新交通システム(おそらくは地下鉄、前号31号「ホットライン」参照)建設の計画もあり、またバスの需要もますます増えることが予想され、深刻な放置自転車問題を抱えている現在、バスターミナル・駐輪場の設置が切望されているわけですが、駅上空間利用は、これら地域的ニーズを満たすためには最も有効であると考えられます。

それは、交通に関する諸問題を抱えている地方行政機関(市・区)や東急にとってのメリットになり得るはずです。住民にとっては買物・交通の便や美親を楽しめるというメリットが、学生にとっては地元の店が利用し易くなるというメリットが、そして商店街側も、現在渋谷や自由が丘等へ流れている学生を引付けられるというメリットがでてくるわけです。

以上が内藤さんの提案の骨子であり、先の5者それぞれの利益につながる方策です。ただ、実現に向けて最大の問題となるのは資金ですが、今後、住民・商店街によって積極的な働きかけがなされることが、その可否を決定することになるのではないでしょうか。

内藤さんが語るところの「並木を見ながらショッピングなどができるような、楽しく美的、かつ機能的な街」、ぜひ実現させたいものですね。

 号名「樫」とは…   

皆さんは、防風林をご覧になったことがあるでしょうか。今号の号名になっでいる“樫”は、防風林にはうってつけの木なのです。

樫は、常緑高木であることから、埼玉・栃木・群馬などでは樫を防風林にしています。
 とくに群馬県――と言うより上州では<上州名物、空っ風>が有名で、“樫ぐね”といって、樫の木をしっかり結(ゆ)いつけて垣根にしており、母屋の高さに等しい防風設備にするのです。
上州では、垣根のことを「くね」と言い、それを上記のように「樫ぐね」と言います。

樫は、「木偏に堅く」と書くごとく非常に堅く、建築材のほかに農機具の鎌や鍬(くわ)などの柄(え)にも用いられています。   
         (武蔵小杉・大塚健嗣)












中原区中丸子の日本電気玉川工場南門にある樫
撮影:岩田忠利



綱島街道沿いの川崎市平和公園で見た樫の実
撮影:岩田忠利

  編集室より感謝をこめて

  第32号“樫”デスクキャップ
  山本裕二(妙蓮寺・横浜国大工学部4年)


 みなさん、こんにちは! 私が本号デスクキャップの山本です。No32“樫号、いかがでしたか?

地元の有り難さに感謝

今回はタウン誌大賞受賞を記念し、そのお礼を兼ねて地元・日吉を特集で取り上げました。
 ひと口に日吉といっても、それは、それは広い地域だということを私は実感しました。毎週土曜の午後と日曜は、自転車で特集地域を走り回ったのですが、予想以上の広さと起伏にうんざりさせられたものでした。
 しかし、そこに住む皆さまは、予想以上の理解を示してくださり、地元のありがたさを身にしみて知ることができました。
 私のような若輩を快く迎えてくださったみなさま、本当にありがとうございました。




 特集ページ以外では、とくに今回の「沿線風土記」、これは読まないと絶対に損です。終戦当時の大倉山記念館の事情、今まで知らなかった方も多いと思います。また、「ふるさと自慢」も連載3回目を迎え、ますます好調になってきました。今回は沖縄・伊良部島、余裕のある方は一度行ってみてはいかがですか。


 遠くへ就職する私の後継者いませんか

 さて、私が本会に参加して10ヵ月が経過しました。最初は右も左もわからなかった私ですが、現在ではなんとか中心スタッフとして認められるようになりました。
 しかし、4月には三菱樹脂鰍ノ就職、この沿線を離れて滋賀県の長浜工場へ行くことになり、私の立場を引き継いでくれるスタッフがどうしても必要です。
 今これを読んでいるあなた、ぜひ−度編集室へ遊びに来てください。ネクラでノロマの私にだってできたのです。あなたならきっとできるはずです。思い立ったら、いつでも編集室へ……。.当編集室は年中無休、24時間体制でがんばっております。

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