編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.566 2015.04.10 掲載
    第29号
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第29号「桑(くわ)
号名 「桑」
サイズ B5判
紙数 84ページ
発行日 昭和60年(1985年)8月1日
頒布方法 定価200円
表紙 写真とイラストの合成
     「帆船日本丸と人物」
表紙作成者 写真:帆船日本丸財団提供
イラスト・デザイン:畑田国男(漫画家 緑が丘)
デスクキャップ 桑原芳哉(学生 大倉山)  サブ・福田智之(大森)          
特集
1. 
特集 わが街シリーズ 横浜編(全44頁)

2. ホットライン特集「みなとみらい21」

3.特別企画 600名が当たる
         5周年記念プレゼント!
   
      表紙の裏ばなし       岩田忠利

横浜特集の時期は夏、そして表紙絵は日本丸=Aと私は秘かに1年も前から決めていた。

「太平洋の白鳥」といわれる、あの純白の勇姿こそ青春のシンボル……。太平洋の荒波と闘いながら、ある時は大自然の恵みに感謝しながら、若人が力を合わせ目的地に進む。こんなすばらしい日本の文化財が、横浜市に移管され私たちの身近なものになった。これが決まったとき、私も小踊りした一人だった。

日本丸が横浜に嫁入りしてからの初代船長・戸苅 清さん(56)に、さっそくお会いした。見るからに温厚誠実そうな紳士で、運輸省のお役人として35年間帆船と暮らしてきた戸苅さん。

この人の口から盛んに「彼女は…」の言葉が発せられた。最初、奥様のことか、と思ったら、日本丸そのもののことだった。お子さんがいらっしゃらない戸苅さんは、彼女≠ご令嬢のように可愛がっておられるようだった。

それにしても、本号表紙の写真撮影担当・一色隆徳君は、彼女≠ノ何度かデー卜を申し込んだが、断わられてしまった。
 そのたびに彼は、桜木町から肩を落とし編集室に帰ってきた。“彼女”は月に
1度しか、白い翼をひろげないのだ。しかも一色君の注文は、夏の発行号にふさわしく青空の下でのフォアマスト……。
 結局、彼女の写真は帆船日本丸記念財団からネガの借用となった。前面のイラストは、今をときめく漫画家・畑田国男先生の作。先生は忙しいなか、快く応じてくださった。

そこで、ご愛読者の皆様にお願い。この夏休み、『とうよこ沿線』を片手にぜひ彼女〃とデートしてみていただきたい。



現役当時、大海原を航行中の日本丸
 号名「桑」とは…   

本号のデスクキャップ桑原芳哉くんの愛称は「クワくん」。そこで容易にデスクキャップ・桑原くんも号名「桑」も一気に決まってしまいました。

開港当時の江戸末期から明治期、港ヨコハマを世界に知らしめたのは、良質な生糸の輸出でした。国を挙げて養蚕を奨励、「生糸一港制」といって全国の繭の生産地、群馬・長野・山梨・埼玉・福島など各県で生産された繭は現地で生糸に加工、それを横浜線の貨物列車で運んで横浜に集めたのでした。

繭はカイコがつくり、カイコは桑の葉を食べて成長する。桑無くして生糸は無い。「桑の木」と養蚕こそ、今日の商都ヨコハマの原点と言えましょう。

私の少年時代の上州(群馬県)の畑は養蚕が盛んで一面の桑畑でした。群馬県内の市街には繭を生糸に加工する製糸工場の煙突が林立。桐生や伊勢崎の絹織物産業は活況を呈し、それを横浜港に運ぶ八高線(高崎〜八王子)経由の横浜線は日本のシルクロードと呼ばれていました。ことの始まりは、すべてカイコと桑の木です。
  桑の実(写真右)、ジュシーで甘くて、美味しいんですよね〜!  
         (岩田忠利)



桑の木の枝に黒紫に熟した桑の実が…

港北区高田町の農家の庭先で
撮影:岩田忠利













 暑中お見舞い申し上げます。

  第29号“桑”デスクキャップ
   桑原芳哉(大倉山・公務員)



左:桑原芳哉 右:サブの福田智之

 暑中お見舞い申し上げます。

 ――このひとことしか浮かばなかったよ−。福田君、どうしよう……。

 ――恐れていた号名「桑」

 この『とうよこ沿線』には、毎号、「木」をもつ漢字一文字の号名がつけられています。号数を重ねるにつれ、この号名となる漢字を考えるのもひと苦労。
 しかし、29号については、わりとあっさり決まりました。「“桑”がいいよな。な、桑原君」。編集長のこの一言が、私を“デスクキャップに追いこんだのです。私、桑原芳哉は、“桑”が号名と決まる日をどんなに恐れていたことか……。

 ――何年も続く『とうよこ沿線』に

 舞台裏の話はこのくらいにして。今号は、『とうよこ沿線』にとって記念すべき創刊5周年。本誌が5年間、どうにか(?)続いてきたのも、本当に、読者のみなさま、そして協賛くださる方々のおかげです。

 これからも、『とうよこ沿線』が、6年、7年、10年、20年と続くように、そして、みなさんと『とうよこ沿線』とのつながりも、10年、20年と続くように、応援してください。

 私がこの『とうよこ沿線』に参加するようになって4年あまり。
 創刊4周年記念号のNo23“桐”の「編集ノート」に、「5周年も、忙しい中であっという間に迎えられれば…」と書きましたが、まさしくその通り。就職もして、編集室の中でも外でも、忙しい毎日でした。この調子で、あっという間の1年が、2回、3回と過ぎて行く――そうなればいいな、とやっぱり今でも思います。

 まぶしい陽ざしの中、みなさんにひとときの涼をお届けできるような、そんな“桑”号であったら、と思いながらつくりました。
 お読みになって、どのように感じましたか。ぜひお手紙ください。待ってます。




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