今回は「武蔵小杉」 です。
本誌15号の表紙に描いた「等々力緑地」近くに小杉陣屋町、小杉御殿町があります。この町筋にそって「中原街道」が走っています。江戸から多摩川を「丸子の渡し」で渡り、川崎、横浜を抜けて平塚宿郊外の中原に至る道が「中原街道」です。
幕府ができ、徳川家康が江戸入りしたのはこの逆のコースです。当時「中原街道」は江戸への最短直線道路で、のちに「東海道」は宿駅制度が充実され、大名行列などが通る政治的道路になります。中原街道、厚木大山街道、津久井街道などは、江戸へ物資を急ぎ運ぶ産業道路の役割を果たすことになります。
小杉御殿は、将軍秀忠が父・家康のために鷹狩りの名目で街道ぞいに大御殿を建て、往来する将軍、大名の宿舎にあてたそうです。今はその面影は見られません。
|