編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子

NO.556 2015.04.07 掲載 

    第19号
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第19号「柿」
号名 「柿」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和58年(1983年)11月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「六角橋商店街 仲見世の情景」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 込宮紀子(公務員 妙蓮寺)/田岡秀樹(会社員 日吉)
特集
1. 
特集 わが街シリーズ
  白楽編/新丸子編

2.  「白楽」大特集
  

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

今回は「白楽」です。

前号、元住吉商店街の活況には、大いにタマゲましたが、白楽には有名な「六角橋商店街」があります。

六角橋というからには、六角型の橋でもあるのかと思いきや、むかしむかし、ヤマトタケルノミコトが東夷征伐の折、この地の久應(名主)のところでもてなしを受け、その際(六角の箸)を記念にあたえた、というのが名の起こりだそうです。

タケルノミコトといえば、第12代景行天皇の皇子ですから、気の遠くなるほど大昔のいい伝えですが、地元の「法秀寺」という寺に文献があるそうですし、神奈川区史にもこの話が伝えられています。長い歴史の中で、箸が橋に化けてしまったようなのね。


 商店街の中でも、「仲見世通り」は、「神奈川のアメ横」とも呼ばれ人気バツグンです。幅1㍍60㌢の狭い通路をはさんで、間口、奥行2間(360㌢)のミニ商店がビッシリ約170店。あらゆる商品がそろっているところなど、初期の上野アメ横を思わせる。天井をふさぐ「雨よけあかり窓」は、おそらくわが国初期のアーケード街かもしれない。横浜というところ、「ハイカラの先取り」が好きみたいですね。

上野とちがって「らっしゃい、らっしゃい」という喧騒が少ない。もうひとつの特徴は、たいへん庶民的なこの通りは、高級住宅が建ついくつかの台地に囲まれていることです。つまり、山の手と下町がすぐ隣りあわせなのです。
 「店に座っていると、目鼻ダチの整った素顔の女性がスイと通りすぎたことがある。ハテどこかで見かけた顔だなと思いめぐらすうち、ハタと気がついた。近くの台地に住む岸恵子さんだったのです……」

語るは、六角橋商店街連合会会長、五十嵐周作さん。白楽には、作家・五木寛之氏、声楽家・奥田良三氏、漫画家・小林治雄、アヤタクニオ君などが住んでいます。駅前台地には、「知事公邸」があり、元内山知事時代までは、多くの外人賓客をこの公邸へ招き、和風庭園から、はるか横浜港の眺望を楽しんだという横浜郊外、山の手の一等地なのです。

「庶民マーケットには、大いに共鳴しますが、このままの姿では今後むずかしいでしょうね」
 「木造ですから、限界にきています。私なりの青写真はできていますが……。高層化を避け、仲見世通りのムードを残したい。往来できるようジグザグ通路を作りたい。噴水のある休み場なども設けたい。なにより、マーケット全体の清潔感を強調したいのですよ」

元ジャーナリスト、インテリ会長さんのお手並を早く拝見したいものです。

東京住まいの奥さま方、買物カゴを下げ、多摩川を渡り、いちど「白楽」へお出かけになりませんか。ここには心の通じあう、よき時代のマーケット街が現存しているのです。

 号名「柿」とは…   

その子は月光仮面ゴッコが好きだった。ふろしきのマントをひるがえし、町内中を駆け回った。彼は庭の柿の木の前で立ち止まり、上を見上げた。「あの木の上から飛び降りたらカッコよく飛べるかナ」

彼はするすると登って行った。いつも遊んでいる自転車も犬小屋もとってもチッポケに見えた。彼は自分が巨人になったような気がして、思わずニヤリと笑った。そして、やおらエイと飛び降りたが……幼い頃の思い出と共に、その傷あとが今でもウッスラと残っている。

沿線の庭先でもよく見かける柿はカキノキ科に属し、日本の最もポピュラーな樹木のひとつ。
  さて、お宅の柿は渋柿? 甘柿?
      (妙蓮寺・込宮紀子)



  日本の甘柿生産量の60%を占める富有柿

   撮影:岩田忠利


    ♥白楽Deデート

 第19号〝柿″デスクキャップ

 イラストMAP担当 田岡秀樹(日吉・会社員)

     特集担当 込宮紀子(妙蓮寺・公務員)

田岡


僕は2回連続してデスクキャップでイラストMAPをまた担当しましたが、込宮さんは初のデスクキャップでしたね。
込宮


ええ。デスクキャップというより、白楽の地域特集担当という感じでした。そのかわり、白楽の街はかなり走りましたよ!
田岡 走る?
込宮

ええ。愛車バッソルでチョコマカ走り回りました。(笑い)

  ――六角橋は下町フンイ気

田岡 白楽ってどんな街だと思いますか。
込宮

六角橋は商業地域で下町のフンイ気。白楽、篠原は住宅地ですが、どこでも歴史を感じますね。

田岡

本誌誌面「酷勢調査」でも在住20年、30年とか生まれた時からずっと住んでいる人が多いみたい。
込宮


子どもも多いけど、お年寄りもたくさん。団地とかだと若い人ばかりでしょ。そういう点では健全な地域社会(笑い)だと思います。
田岡


六角橋商店街では神大生の姿もたくさん見かけますね。僕は慶応だけど、慶応の学生は日吉の街をあんなに歩かなかったなあ。
込宮

そう。コンパも六角橋でやるみたい。神大生は自分の街を持ってるなって感じ。
田岡

うらやましいですね。白楽については、かなり詳しくなりました?

  ――街に昔話が生きている

込宮




昔話ならまかせてください(笑い)横浜で一番古いパチンコ屋や、かつて牧場があったとか、昭和の初め頃は、青木橋まで歩いて映画を見に行ったとか、何気なく街を通り過ぎるだけだったらわからなかったものが分かってきました。
田岡

ちょっとこの街の人と話をすると、ゾロゾロ出てくる?

込宮


ええ。現在の街の姿を知ると同時にこの街の歩み、大きく言えば日本の社会の歩みみたいなものを感じましたね。
田岡
そして、この街が身近に感じられてくるんですよね。
込宮





そうです。いろいろな方に昔の話を聞くでしょ。たとえば関東大震災の時、近くの井戸で朝鮮人が殺されていたとか。
教科書で習った歴史が教科書の中だけのことじゃなくて、実際にあったことなんだってジワジワっと実感しました。
田岡


そういうこと、たくさんあるでしょうね。今、生きている人々が実際に体験した歴史を聞き取りしていったら、庶民史っていうか、すごく貴重なものができるんじゃないですか?
込宮

やってみたいですね。ライフワークにしようかな(笑い)

  ――出会いがうれしくて…

込宮

田岡さんは、また広告を?

田岡


ええ。広告とりは楽しいですよ。初めて白楽の駅に降りた時は、街全体が僕を拒否しているような気がするんです。

込宮

だけど、何度も足を運ぶうちに店の人と親しくなり、この街がだんだんわかってきて、好きになる。
田岡 これが何とも言えない魅力ですね。
込宮
一度やったらやめられない!?(笑い)
田岡





東横沿線の元住吉(前回の特集地域)に、白楽に、こんな人々がいて、こんな生活をしてるってわかってくると、隣の街でもやっぱり人々が毎日、毎日、同じように生活しているんだなって想像するんです。そして、イラストMAPをつくることで、そういう人々をつなぎあわせていけたらステキだなって…
込宮 男のロマンですねー(笑い)
田岡


ステキな人ってホントにいろいろな所にいます。そういう「出会い」がうれしくて僕はMAPをやっているんですよ。
込宮




取材をしていると、自分だけが人間じゃないって、つくづく感じます。いろいろな人がいます……人に会って、話をして、何だか自分の人間としての幅も広がってくるような気がしますね。

田岡

さあ、次はどんな出会いがあるかなぁ!?


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