編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子

NO.549 2015.04.04 掲載 

    第13号
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第13号「櫟(くぬぎ)
号名 「櫟」
サイズ B5判
紙数 76ページ
発行日 昭和57年(1982年)10月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「渋谷駅前のハチ公」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 久保島紀子(日吉)
特集
1. 
第5回誌上座談会
  沿線在住外国人の「われら沿線住民』

2.  新シリーズ 
 畑田国男のケーキ
deデート
    ゲスト:三雲孝江さん

3. 新連載 アルメルの艶線漫遊記@

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

今回は「渋谷」です。
  かつては、私もシブヤ族のひとりでした。駅から西へ500bほどの道玄坂。ここが渋谷唯一の盛り場で、坂の途中を右に折れ百軒店(ヒャッケンダナ)とよぶ飲み屋街の小さなBARを根城に、毎日漫画家のタマゴたちが漫画論などをブッたりしていたものです。
  シブヤも大きくかわりました。原宿、代々木公園、代々木競技場、公園通り、渋谷パルコ、NHK放送センターなどの出現で渋谷地図も大きく塗りかえられましたが、「シブヤのシンボル」となると、やはり「忠犬ハチ公」でしょうね。
  ハチ公像前に、昨年改築されたばかりの「マンモス交番」があります。5人1組4交代で若いオマワリさんたちが多忙な毎日を勤務しています。ここを訪れる「安くてうまいもの食わせる店教えてください」などのたずね人は、なんと一日9000件にも及ぶのだそうです。

 ハチ公像の後に、こんな文字が刻まれています。

 忠犬ハチ公小伝

 種類 日本犬 秋田産雄

 生れた時 大正121120

 体格 肩の高さ2尺1寸 体重 11

 飼主 故農学博士 上野英三郎氏

 第1回銅像建設 昭和9年4月21

 場所 渋谷駅正面改札口前

 死去の時 昭和10年3月8日

帰らぬ主人を十余年渋谷駅に待ち続けたハチ公の忠実な行為は深く賞讃の的となり銅像に作られたが、戦時中撤収されてその愛姿を失ったのを多くの人の同情により、ここに銅像再建して永く美談を後世に伝う。
 昭和23年8月15日 忠犬ハチ公銅像再建会



上野の国立科学博物館に剥製となって展示されているハチ公      撮影:一色隆徳さん(祐天寺)

  ハチ公像に近づき、彼の顔をしげしげとながめました。ズングリムックリ型のハチ公は、目を細目にあけて私のインタビューをものうげに受けてくれました。
 「雨の日も風の日も、毎日ご苦労さま。多くの都民の待ちあわせ場所として、君は今日も大いに役立っていてくれる。ところで、君は、いま何をいちばん望んでいるのかね?」
  私の質問に、ハチ公は片目をあけて、ニッコリと言いました。
  「ハチ公自伝のような本を一冊書いてみたいな。近ごろタレントさんの本がよく売れているんだってね。それから、主役でテレビドラマに出演してみたいな。渋谷駅前にただ立っているだけじゃ、世間さまに忘れられちゃうもン……」
  それからもうひとつ、と念を押してハチ公が言いました。
 「いちどでいい、ドッグ・フードというやつを食ってみたい、オレ、残飯にミソ汁時代の犬だもんネ……」
  彼との約束を守って、表紙にドッグ・フードを供えさせてもらいました。
 号名「櫟」とは…   

櫟はブナ科の落葉高木。もともとは薪として利用され、古代にはその実の煎汁で衣服を染めていました。色あせることのない、地味な茶色だったと言います。

  万葉集に、こんな歌があります。

紅は移ろふものぞ橡(つるばみ)の馴れにし衣になほ若かめやも

ツルバミとはクヌギの古名です。浮気相手の女を紅のあせやすさになぞらえ、妻をあせない橡にたとえたわけです。

櫟の実は、ドングリの代表格。ドングリを拾って、こまを作ったり、鉄砲玉にしたり……。夏、男の子たちは樹液に寄ってくるカブトムシやクワガタ欲しさにクヌギの木を探します。
  クヌギは、私たちに数々の楽しい思い出をつくり、残してくれる木です。春、葉が開くと同時に穂のように垂れ下がる黄色い花序。樹皮は写真のように縦にできる割れ目。細長い葉には鋭い鋸歯。これらがクヌギの特徴です。「楽しめる木」、それで「櫟」と書くのかもしれませんね。
         (大倉山・桑原芳哉)



樹皮は縦にできる割れ目があるのが特徴、櫟

撮影:岩田忠利




春は黄色い花序を垂れ下げる櫟の花

撮影:石川佐智子さん(日吉)


 「トーヨコトマト」の騎手なのに

  櫟号デスクキャップ  
     久保島紀子
(日吉・会社員)


 ―わが出走馬「トーヨコトマト」は、いま―

 「トーヨコトマト」――これは、学生時代の仲間内で現在行なわれている結婚ダービーの、わが出走馬の名前。騎手はもちろん私です。寸評はといえば、「いつもいいところまで行きながら、雑誌『とうよこ沿線』の編集に肩入れが過ぎて、いまだ弟と二人暮らし。トマトのような清潔感が売りもの」……。

最後の御世辞にまどわされてはいられない。前半の部分でゴールの遠いことを指摘されています。しかしこの寸評、当たらずといえども遠からず、なかなか鋭い。

 こんな気になるダービーに出走していながら、デスクキャップに命ぜられた久保島騎手につられて、わがトーヨコトマトは、結婚というゴールをめざさずに、ひたすら『とうよこ沿線』13号の完成をめざしてしまった。編集長という強力な調教師に先導され、編集スタッフ並びに読者という暖かい観衆に声援され、幸か不幸かトーヨコトマトは、脇道にもそれず一直線に『とうよこ沿線』ゴールに。




 本来の私のホームグラウンドは栃木県です。櫟の実の丸いドングリで遊んで育ちました。ドングリの帽子の中に野の花を入れて、松葉で取手を作り、小さな花籠を作ったことを思い出します。東横沿線に住んで早や4年目。そのうちの半分以上は、『とうよこ沿線』と共に歩んできたわけです。

栃木県のホームグラウンドが、のんびりと走る練習場だとしたら、『とうよこ沿線』というグラウンドは、さしずめ競技場。すばらしい環境の中で、今日もトーヨコトマトは走り続けています。完走のご褒美は、精魂込めた櫟号をたくさんの人に読んでもらうこと、そして、そろそろ本来のゴールもめざそうかしらと思っているわが出走馬を応援してもらうこと。

 ―次号は同い年の富士子ちゃん―

 さて次号は、いよいよ新年号。イラスト・マンガをふんだんに取り入れた楽しい号にと、イラストレーターの石橋富士子さんがデスクキャップでトライします。何を隠そう石橋さんも私と同い年。結婚ダービーを尻目にがんばってください。新年号は読者参加の、皆さんで作る号になります。どんどん参加しましょう。

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