編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.546 2015.04.02 掲載 
    第10号
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第10号「桃」
号名 「桃」
サイズ B5判
紙数 92ページ
発行日 昭和57年(1982年)3月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「自由が丘駅北口駅前の情景」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 小野関 裕一
特集
1. 
第4回誌上座談会
  「一人暮らしの東横沿線」

2.  われらはコロンブス「沿線花暦」

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

  今回は「自由が丘」です。
 私は30年近く隣の町の住人ですから、この街を数度、画と文で紹介しています。昭和40年、「とおきよう新地図」というのを朝日新聞に書きましたが、その時の文章の一部を再録してみましょう。
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  ――ジュウガオカ。名前がいいですよ。むかし昭和7年ごろ、舞踊家石井漠さんと、自由が丘学園前校長、手塚先生の共同命名だそうな。渋谷から東横線、大井町から田園都市線、とくに最近地下鉄が日吉まで乗り入れとあって、この盛り場ツイている。いや、繁栄のもうひとつの原因として、この土地が持つお上品ムード、ハイセンスの商店街≠ェ多くの女性ファンや学生を的確につかんでいる。この街の店には銀座センスの商品が多いのは定評。事実、戦後軒並みに銀座有名店が進出してきた。
  しかし、恵まれたこの街にもナヤミがないわけではない。車道、歩道がコンゼンとしていて、オチオチ「自ブラ」(?)もできないという街並みの狭さ。「商品がいっぱいでゴミゴミしているところは香港みたい」と、慶大・奥野信太郎先生の言葉だが、いまや商店の旦那衆は、広場裏に大駐車場を作ったり、老舗をビルにきりかえたり、アーケードを作ったり懸命の努力をつづけている。
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  その折インタービューした商店街振興組合の三枝専務理事さんは現在もお元気で、15年ぶりに再会したわけです。「あの頃、銀座風の店とムード≠ェここのキャッチフレーズでしたが、現在では独自の自由が丘ムード≠ェ確実に定着しましたね。経営者たちの熱意と協力の賜だと思うんです。もうひとつの自慢は、この街には暴力の影が一切ないということです」と専務さんはムネを張って言いました。


自由が丘のシンボル“女神像”
撮影:岩田忠利
 ハイセンスの街「自由が丘」は、渋谷、六本木、吉祥寺とならんで、いまやもっともナウな東京プレイゾーンとして脚光を浴びています。
 久しぶりに駅前の「自由の女神」を訪れましたが、残念ながら車の群れで近づくこともできません。
  日曜以外は彼女との語らいはダメなようです。自由が丘にあこがれて、初めて訪れるクリスタル・ギャルたちが、「へ−え、駅前にそんなのあったァ?」じゃ、シンボルがかわいそうです。
  そこで提案。女神の台座をグーンと高くしていただけませんか。女神にもっと太陽とよい空気を。自由が丘のシンボルは一層ひかり輝くと思うのです。もったいない。
                近況報告

例年ですが、正月は(似顔の会)が盛んで多忙でした。「読売国際漫画大賞の会」「電通新年会」「本田技研新年会」と筆をかついで飛びまわりましたが、ホテル・ニューオータニの電通新年会は来会者四千名で、漫画集団の仲間10人で大汗をかきました。
 その席で数人のマスコミさんから、「『とうよこ沿線』見ましたよ」と声をかけられました。いまや、『とうよこ沿線』は話題の雑誌なのですね。がんばってぇ〜、編集長!

 号名「桃」とは…   

花は濃いピンクか白で美しい。実は品種が多く、甘露は水蜜・白桃・天津など私たちの舌になじみ深い。しかし、中国原産でバラ科の樹木であることは意外に知られていません。
  桃は東横沿線地域と非常に関係が深かったと50代以上の人たちから聞きます。昭和初期の綱島地区や新丸子地区は桃の名産地で農家収入の柱であったそうです。また4月初旬には、沿線近郷の住民は“桃見”と称して綱島温泉につかり、桃の花見でちょっと一杯、といった風流なひと時を楽しんだというから羨ましい。
  今の編集室は創刊3年目、「桃栗三年柿八年」、本誌を桃のように芽生えの時から3年で実を結ばせたい、そんな呻吟(しんぎん)のなか号名・桃を選びました。
            (岩田忠利)



港北区箕輪町の畑に咲く桃

撮影:岩田忠利










机帽(デスクキャップ)からありがとう!

 本号「桃』デスクキャップ

 小野関裕一郎
 (菊名・横浜放送映画専門学院映像科)


 この雑誌が巷に出まわる頃、ボクたちは別れと、そして新しい出会いの季節をむかえます。
 カワイコぶりっ子の野沢嬢、短大を卒業して長野県へUターン就職。いつまでもあの笑顔を忘れないでネ。

 ――白いドアが開く日も近い――

 思えばボクも昨年の3月、菊名町に住みついてもう1年。そして、ボクが編集したこの桃″が同じ時期に街に並びます。この雑誌を見て、昨年のボクの様な人間が編集室のガラス窓をのぞきこんで、ちょっと躊躇して、そして白いドアを開ける日も近いことだと思うんです。

 ――一人暮らしには東横沿線――

 ボクは今、一人暮らしをしている学生です。今回、「−人暮らしの東横沿線」という特集を組んでみました。昨年のボクと同じ様に、初めて一人暮らしを始めた人たちが読んでくれて、少しでもこれからの参考にしていただければうれしいです。



 ――平均年齢19歳!?――

 この号の編集スタッフの平均年令、約19歳。(奥沢少年団よ! 君たちがいて良かった)そりゃあ多少内容は地味ですよ。でも今までにこれだけの雑誌がありました? 『桃』は若き血と汗と涙の結晶なのダ。(青春ドラマ!?)

 ――次号はキャリアで勝負します――

 さて、次号欅″のデスクは、きゃりあうーまんの小山節子お姉さまです。今をトキメク、コピーライターの小山お姉さまは、ボクが昼寝をしていた間にウサギとカメ″のカメさんの様に着々と欅≠フ編集を進めています。きっと、すばらしい雑誌ができるに違いいありません。ハイ。

 ――ありがとう、皆さん――

 編集ノートに載っているスタッフの皆さん。そして年末年始のいそがしい時に取材や執筆を快く応じてくれた皆さん。その他、あげればきりがありませんが、誌上を借りて厚く御礼申しあげます。お疲れさまでした。

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