編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子

NO.545 2015.04.01 掲載 

   第9号
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第9号「梅
号名 「梅」
サイズ B5判
紙数 92ページ
発行日 昭和57年(1982年)1月1日
頒布方法 定価200円
表紙 イラスト「大倉山梅林の情景」
撮影者 漫画家・井崎一夫(都立大学)
デスクキャップ 佐藤保子(大倉山) 
   ※本号からデスクキャップ制導入
特集 1. 駅名の由来(横浜線)

2.  われらはコロンブス「正月特集」

3. 新年特集「スタッフ・73名、新年挨拶」

      表紙のことば     漫画家・井崎一夫

 

 今回は「大倉山梅林」です。

 大倉山ははじめてですが、駅のそばにこのようなすばらしい梅林があろうとは、大倉山さん素的な「宝」をお持ちです。この梅林も一時、テニスコートに変えられようとしたそうですが、住民の.猛反対にあって残すことになったと聞きます。大倉山住民のみなさま、あなたはエライ!だってこれほどの「宝」は、いちど破壊されたら永久にもどってくるものではありません。


            満開の大倉山梅林
大倉山公園は面積約69,000平方メートル、そのうち約1万平方メートルが梅林。ここに淡い紅・紅・白の花の30種類、大木古木の200本が春の到来を告げす様は壮観!

発展途上の沿線は、あちこちで破壊と建設がつづいています。この際、お互いに残すもの、壊すものをハッキリした眼で判断したいものですよね。

 スケッチしたのは晩秋、梅一輪咲いちゃいません。新春号らしくパーッと花を咲かせなければなりません。そこは漫画家のウデのみせどころ、かつて訪れた水戸偕楽園や九州太宰府の梅など頭に描きながら取り組みましたが、清楚で美しい花をつける梅も、幹は複雑多岐にわたり、最近の国際情勢のようにむずかしい相手でした。戌年(いぬどし)にちなみ、お犬さまを主人公に置きましたが、盆も正月もカンケイがないホットなヤングさんも登場させてみました。

 今回は大倉山に住む編集委員の佐藤、小田両女史にご案内ねがったのですが、梅園の上手に新しく「東横神社」 ができているのを見て、「アラッ知らなかったワ」と申しました。それほど沿線風景は急速に変貌しつつあるということなのでしょう。




 「精神文化研究所はぜひ入れてください。これはもう大倉山のシンボルなのですから……」とい言われ、あわてて「全日空寮」のテッペンにかけのぼってスケッチしはじめたという一幕も。
 帰途、「総合庁舎」の前で描いていると、店員らしい若者が寄ってきて、「立派な庁舎でしょう? こんなの東京にもないよな……」と、テキトウに油を売っていきました。ガソリンスタンドの店員さんでした。
 号名「梅」とは…   

庭木の中でもとくに樹形が美しいウメ。原産は中国、初めは薬木として渡来。今日では観賞のためのウメを花梅(はなうめ)、実を採る品種を実梅(みうめ)と呼ぶ。

  温暖地に適し、九州・大宰府の菅原道真の歌といえば「東風吹かば思いおこせよ梅の花」――ご存じであろう。冬の寒さに耐えて花開くこの植物を古人は多く愛した。
 観梅には、江東区に亀戸天神、文京区に湯島天神、川崎に御幸公園、久地梅林、横浜に表紙の大倉山梅林がある。



花梅の「ギョクボタン(玉牡丹)」

大船フラワーセンターで
撮影:北澤美代子さん(綱島)

 泣き笑いのこの一年

        
       デスクキャップ 佐藤保子


 「梅組デスクキャップヲ命ズ」この岩田編集長の言葉はまさに青天のへきれき。私の40余年の歳月のうち、未だかつてない重責。
 当然のように企画編集会議から印刷所への出稿完了までの2カ月は文字通り東奔西走の毎日でした。

 「好きじゃなきゃやれないナー」の夫のあきれ顔を横目に、不機嫌な息子の言葉を聞き流し、娘に炊事を頼み、ようやく完成までこぎつけたところです。

 思えば昨年10月、無料の雑誌をあげるとの言葉に欲を出し、おそるおそる編集室の扉を開けて以来、病膏盲(やまいこうもう)に入るとはこのことか! 原稿の清書ぐらいならと引き受けた身分が人に原稿を依頼して赤≠入れる役目になろうとはおシャカさまでも気がつかなかったでしょう。ここまで来られたのも、もちろん私一人の力ではありません。沿線住民の皆様やファイトあふれる編集員のお陰でした。

 いろんな人がいて、いろんな人が 参加して

 つらいこともありました。汗水たらして雑誌の説明をしても「こんな本売れるか−」と投げて返した人。初めての取材で素っ気なくされ、二度、三度と会っているうちに私の気持ちが通じたのか帰りは竹馬の友のようになった人。「こうゆう本を待っていたの、隅から隅まで全部読むのよ。次はいつ?」と尋ねる方。「中学生の作文集みたいでホノボノしてる」と苦笑させる商店主…。いろいろな人に会い、いろいろな話を聞き学びました。

 この雑誌ほど多くの人々の貴重な知恵と労力で出来ている例は他に見ないでしょう。どんな小さなカットでも、たった一行の見出しでも、似顔絵も写真も挿絵も素人の力をフルに出し、取材に駆けずり廻り、ひたいを寄せ集めて考えたり描いたりしているのです。

 編集室に一日座っていると面白い人、楽しい人が毎日飛び込んで来ます。
 真っ赤なブレザーがよく似合う往年のスター
Kさん。独学で英語と独語を学びロシア語にも挑戦している70歳のTさん。

 10年後には岩田編集長の座を奪うと豪語している小学生のC君。また遠く熱砂のクエートから便りを下さったHさん。かつて砂漠の国で活字に飢え、古雑誌をむさぼり読んだ経験のある私は、胸にジーンとこみ上げてくるものがありました。どうか帰国の日まで頑張ってください。

乞うご期待、次号は若者の力の結集

 今までオジンくさいと言われ中年のノスタルジアだった本誌も続々と若者が参加し、最近の編集室は熱気ムンムン、夜の更けるのも忘れるようです。
  次号桃≠ヘ編集室の若獅子、若冠18歳の小野関裕一君がヤングパワーを結集し担当することになりました。どんな内容になるか楽しみに待ちましょう。

 拙ないデスクでしたが温かく協力して下さった皆様に感謝するとともに新しい年の御多幸を祈りつつペンを置きます。

 198111月  佐藤保子(主婦・大倉山)







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