「梅組デスクキャップヲ命ズ」この岩田編集長の言葉はまさに青天のへきれき。私の40余年の歳月のうち、未だかつてない重責。
当然のように企画編集会議から印刷所への出稿完了までの2カ月は文字通り東奔西走の毎日でした。
「好きじゃなきゃやれないナー」の夫のあきれ顔を横目に、不機嫌な息子の言葉を聞き流し、娘に炊事を頼み、ようやく完成までこぎつけたところです。
思えば昨年10月、無料の雑誌をあげるとの言葉に欲を出し、おそるおそる編集室の扉を開けて以来、病膏盲(やまいこうもう)に入るとはこのことか! 原稿の清書ぐらいならと引き受けた身分が人に原稿を依頼して赤≠入れる役目になろうとはおシャカさまでも気がつかなかったでしょう。ここまで来られたのも、もちろん私一人の力ではありません。沿線住民の皆様やファイトあふれる編集員のお陰でした。
いろんな人がいて、いろんな人が 参加して
つらいこともありました。汗水たらして雑誌の説明をしても「こんな本売れるか−」と投げて返した人。初めての取材で素っ気なくされ、二度、三度と会っているうちに私の気持ちが通じたのか帰りは竹馬の友のようになった人。「こうゆう本を待っていたの、隅から隅まで全部読むのよ。次はいつ?」と尋ねる方。「中学生の作文集みたいでホノボノしてる」と苦笑させる商店主…。いろいろな人に会い、いろいろな話を聞き学びました。
この雑誌ほど多くの人々の貴重な知恵と労力で出来ている例は他に見ないでしょう。どんな小さなカットでも、たった一行の見出しでも、似顔絵も写真も挿絵も素人の力をフルに出し、取材に駆けずり廻り、ひたいを寄せ集めて考えたり描いたりしているのです。
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編集室に一日座っていると面白い人、楽しい人が毎日飛び込んで来ます。
真っ赤なブレザーがよく似合う往年のスターKさん。独学で英語と独語を学びロシア語にも挑戦している70歳のTさん。 |
10年後には岩田編集長の座を奪うと豪語している小学生のC君。また遠く熱砂のクエートから便りを下さったHさん。かつて砂漠の国で活字に飢え、古雑誌をむさぼり読んだ経験のある私は、胸にジーンとこみ上げてくるものがありました。どうか帰国の日まで頑張ってください。
乞うご期待、次号は若者の力の結集
今までオジンくさいと言われ中年のノスタルジアだった本誌も続々と若者が参加し、最近の編集室は熱気ムンムン、夜の更けるのも忘れるようです。
次号桃≠ヘ編集室の若獅子、若冠18歳の小野関裕一君がヤングパワーを結集し担当することになりました。どんな内容になるか楽しみに待ちましょう。
拙ないデスクでしたが温かく協力して下さった皆様に感謝するとともに新しい年の御多幸を祈りつつペンを置きます。
1981年11月 佐藤保子(主婦・大倉山)
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