編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏

NO.541 2015.03.31 掲載 

   第5号
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第5号「橘」
号名 「橘」
サイズ B5判
紙数 92ページ
発行日 昭和56年(1981年)5月1日
頒布方法 定価200円
表紙 多摩川台の峠
撮影者 三戸田英文(元住吉)
特集 1. 駅名の由来(渋谷〜元住吉)

2.    有名人沿線人物地図 
  その5(学芸大〜代官山編)


3. 大倉山特集――お散歩マップ
      表紙に寄せて    撮影者:三戸田英文


 桜花爛漫47日の朝。多摩川土手の端、多摩川台公園のなかの峠道。レンズをのぞくと、人が現れては消えてゆく。やはり峠は人との出会いと別れの場であると感ずる。ちょうどその後ろに赤い橋。それが、人と人とをつなぎとめる橋のような気がした。

 突然、朝の光に輝くサクラを背に現れたのがジョギング中の女性3人…。


  三戸田英文さんの横顔

 三戸田さんは元住吉に住んで5年目。28歳の独身、長年コツコツと風俗的ドキュメントを撮りつづけてきた長州っぽカメラマン、山口県下関市出身。
 17歳のとき、すばらしい星座にむけてシャッターを切ったのが写真との遭遇。日吉にある東京綜合写真専門学校を卒業。その後、会社勤めの傍ら全国各地の農村や古い町を歩き回り風俗的ドキュメント写真を撮り溜めしている。彼のテーマは「新しさと古さがミックスして、日本の民俗が将来どのように変わっていくか」。
                               (岩田)



三戸田英文さん
  号名「橘(たちばな)」とは   小林英男(武蔵小杉)

 

「橘」はミカンの木の古い呼び名である。むかし橘という木がこの沿線地域に植わっていたかは定かではないが、こんな故事がある。

  大和武尊がご東征の折、三浦半島から房総への海はひじょうに荒れていた。その海の神を鎮めるため、弟橘媛(おとたちばなひめ)が身を海に投じた。そして大和武尊を安全に航海せしめた。



   綱島・池谷家にあるミカンの木

       撮影:北澤美代子さん(綱島)

 のち、弟橘媛のお召しものが元住吉の近く、川崎市高津区子母口の地に流れ着いた。いまも同所の丘の上には弟橘媛の古墳がある。さらに大和武尊をまつった“橘樹(たちばな)神社”もある。

 現在東横線が走る神奈川県側一帯は、かつて大正13年の郡制廃止まで武蔵国橘樹郡だった。川崎市は多摩区柿生地区を除く全域、横浜市は鶴見区全域、港北区・神奈川区・保土ヶ谷区の各区の一部が同郡に属していた。

 内裏雛(だいりびな)と一緒に飾られる縁起のいい橘は、この沿線地域とは非常に縁の深い樹木である。

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