自由が丘の街に住んだことはありません。が当時、つまり昭和34.35年頃、日本が昭和39年のオリンピックを頂点に、高度成長の波に乗り始めた時期に、それに合わせて栄えていった町ということで自由が丘に興味を持ちましてね。自由が丘に居たある洋装店のマダムを知人に紹介されて、その人から街の様子や住む人々のことについて話を聞いて、それをヒントに書き上げました。
自由が丘は戦前、石井漠を中心として、文化的な町づくりがなされた所でしょう。そのモダンさに加えて、いわゆる戦前の中産階級とは、いささか趣を異にした「中間階級」が多数を占めていた街。
私の言う「中間階級」と言うのは、大資本を背景にした有産階級でもなく、かといって貧乏人では実際に生活しにくい自由が丘あたりに住んでいる人々といった意味ですが…。
つまり自由が丘という街は、戦後の日本の経済成長と共に栄えてきた、いわば、日本の戦後のある断面が象徴的にあらわれている街だという風に私はとらえているんですがね。
小説中の夫人連にしても「よろめき」という言葉が流行しましたが、完全にはよろめいてはゆけなかった時代でね。もっともよろめく場所もまだ少なかったし。ラブホテルなんてほとんどなかった時代でしょう。
それにしても、ここ4,5年でずい分、自由が丘も変わってきたんじゃないんですか。私もこの吉祥寺に長く住んでいますが、最近の吉祥寺の町の変化にはついていけない感じがしますよ。
すっかり若者に独占されて、昔からの住民が、はじき出されそうな勢いです。同じような現象が、自由が丘にもあらわれているんじゃないかなあ。
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