新横浜――昭和39年10月の新幹線開業にあわせて、田んぼの中に忽然と現われた街であったが、それ以後20年近く大きな変化もないままになっていた。
しかし、「ひかり」号の停車や地下鉄の開通など、交通網の整備をきっかけに、いま新横浜は大きく前進してきている。横浜の副都心として、さまざまの事務所ビルをはじめ、来年春オープンのイベントホール「横浜アリーナ」やプリンスホテルの進出など、新しい街づくりが急ピッチで進められている。
そして同時に隣接の大倉山も大きく変化している。大倉山記念館の整備、西口商店街の近代化などが進み、もはやこの2つの街は一体となって発展を続けてゆくに違いない。
今回の「ホットライン」では、地域特集「大倉山」に合わせ、大倉山出身の代議士・鈴木恒夫さんに幼い日々の大倉山の昔の姿、そしてその今と未来を書いていただいた。
激動のこの地域の躍動感を大いに感じとっていただきたいと思う。 (岩田忠利)
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あの黒い物体は、なんだぁ〜!?
「なんだ、おまえ、汽車も知らねえのか」。鼻から青スジ二本の悪ガキから、そう言われた時の屈辱感を、私はそれから40数年がたった今も、ハッキリと憶えている。
私の生まれ育った横浜市港北区師岡(もろおか)町は、当時は周囲を山で囲まれた小さな農村。東横線大倉山駅に出るには、今で言えば鶴見から新横浜に抜ける環状2号道路が大豆戸(まめど)交差点に差しかかる少し手前のあたりの、うっそうとした森の中の坂道を下っていかねばならなかった。当時、この山道にはよくオイハギ(強盗)が出たが、坂を下り切ると、目の前には一面の稲穂の波が見えた。今日の新横浜一帯に広がっていた美田地帯である。
5歳か6歳の頃だったと思う。ある日、町に住む親戚の子供が遊びに来て、2人でこの坂道を下っていくと、田圃の向こうの方を白い煙あげて走っていく黒い物体が見えた。
「あれは何だ!」ぼう然として見とれていた私の耳に飛び込んできたのが、冒頭に書いた友の言葉。私にとって未知の物体は、横浜線を走る蒸気機関車であった。
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横浜線を走っていた“黒い物体”、蒸気機関車
提供:河原一昭さん(緑区長津田)
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「イナカものって恥ずかしいナ」そんな感傷が私の胸に突き刺さった。
時の流れは、とりわけ昭和30年ごろから、急速に大倉山・新横浜一帯を変ぼうさせた。東横線の過密ダイヤ化、東海道新幹線と環状2号道路の開通、横浜線の複線化、第三京浜高速道路の開通、最近では地下鉄日比谷線の相互乗入れ、新横浜への横浜市営地下鉄の開通……。
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まったくアッという間に私のふるさとは、鉄とコンクリートの中に埋没してしまった。
かわいそうな現代っ子
子供のころ、師岡町の私の家の前の小川は、メダカが群れていたし、底を掘るとシジミがとれた。山に入ればヤマユリ、エビネ、そしてグミや桑の実。鶴見川にはタナゴがいた。支流の鳥山川はウナギ、フナの宝庫。
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昭和23年、魚捕りに夢中の日吉の男の子
撮影:佐相政雄さん(日吉本町1丁目)
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大倉山記念館の周辺の森では、よく野ウサギを見た。戦後よく起きた停電の夜には、ことのほかフクロウの鳴き声が怖かった。みんな、いったいどこに行ってしまったんだろう。まがいもなく、私もまた、故郷喪失組の一人になってしまった。
懐古趣味で、私はこんなことを書いているのではない。しかし、余りにも今の子供はかわいそうだ。
今朝の新聞にも、ニワトリの絵を書かせたら4本足をつけたという広島の子供の話が出ていた。
私は思わず、隣に寝ている小学校5年の一人娘の寝顔を見つめてしまう。「この子はメダカをすくったことが、これまでにあったのだろうか」と。
変化の速度はますます加速…
しかし、時は逆流しない。逆流しないどころか、大倉山一帯の変化のスピードは、ますます加速するだろう。 あと数年で横浜市営地下鉄が新横浜から緑区(現青葉区)あざみ野に抜け、かつては見事な竹林が繁っていた大倉山の後背地一帯にはいま、30万人都市・港北ニュータウンの建設が進んでいる。おそらく、何年後かには、この新都市の真ん中をリニア・モーター・カーが走り抜ける。新横浜に建設中の多目的イベントホール「横浜アリーナ」や、その真向いにやがてそびえ立つ40数階の巨大ホテル、ショッピング・アーケードに集まる自動車の波は、新たな道路の建設を促さずにはおかない。
経済の発展に、交通網の整備は不可欠である。もはや、東京圏≠ノ入ってしまった大倉山・新横浜一帯は、人口集中のあおりを受けて、いよいよ過密化に向かう。 しかし、だが、待てよ。これはヒョッとすると、あの公害をまき散らした日本経済の高成長期の姿の縮小版ではないか。地価の暴騰、都心部の過疎化という逆現象、自然破壊、そして議論になり始めた遷都問題…‥・。
「ボヤボヤしているヒマはないナ。一日も早く政治家が国民からの信頼感を取り戻して利害の調整に手をつけなければ、この地域の破壊は取り返しのつかない結果を生む」――。
このあいだの日曜日、私は久し振りに78歳になった老母の住む師岡の家を訪ね、ブルドーザーがうなりをあげている前の山を見ながら、そう思った。
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