ここ数年、東横沿線各地の駅前商店街で再開発やショッピンクプロムナード化が、急速に進められ、快適な買物広場や交流の場が出現し、その建設途上にある。例えば、大倉山西口のエルム通り、日吉・元住吉西口・新丸子医大通りのショッピンクモールなどは、その一例だ。
このような沿線の動きの中で、「綱島の街はどうなるのだろうか」との声をよく聞く。港北ニュータウンなど広範囲の後背地をもっているこの街は、自動車による交通渋滞や駅前の整備など、現在解決すべき問題をいくつもかかえている。
これからどんな街になってゆくのか、どのような街へ発展してゆくべきなのかを、今回の「ホットライン」では、地域特集「綱島」に合わせて、東口・西口の再開発の責任者とさまざまな分野の住民の方々の意見を取り上げ、ぜひ読者の皆さんにも、綱島の未来をお考えいただきたいと思う。
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セットバックを実施――西口
西口駅前通りは、住友・協和の両銀行前に放置された自転車で、車一台通ると人は歩けない |
まず、西口について、綱島西口再開発協議会会長の大谷宗弘氏にお聞きした。
西口の再開発については現在、以前の温泉街であった綱島西2丁目と3丁目の一部において、昭和57年5月に制定された綱島西地区街づくり憲章と街づくり協定に基づいて行なわれている。
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この憲章の方針は、人間優先の歩行者空間の創造と、地域住民に利便を提供する新しい街づくり・商業空間の推進とである。
歩行者優先の街づくりということで、歩道部分の新設を一つの柱としている。いわゆる一階部分の壁面線後退(セットバック)の実施である。イトーヨーカ堂などが面している中央モールについては3メートル、それ以外のサブモール部分については2メートルのセットバックを行なうようなかたちになっている。
しかし、中心の西口駅前付近、綱島西1丁目については、この憲章の対象地域には入っていない。
大谷会長によれば、コンセンサスが得られない現在の状況は、「残念である」とのことである。
やはり歩行者優先の街づくりのため、2メートルのセットバックについてぜひ協力してほしいと大谷氏は訴えている。
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しかし、駅前に銀行が建ち、街の骨格を決めてしまっていることなど、なかなか駅前については再開発は難しいようである。大谷氏は、「きっかけがない。危機感は皆もっているのだが…。横浜市がぜひ乗り出してもらい、再開発を推進してほしい」と言われた。打開策ははたしてないものだろうか。
再開発計画に基づく−東口

東口駅前には東急と臨港バス、二つの発着所があり、絶えずバスが出入りする。そこへ駐車違反者の放列。人はその間隙を縫って歩くのだ |
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さて、東口はどうであろうか。西口同様、綱島東口再開発協議会会長の池谷光朗氏に伺った。
そもそも、東口再開発のきっかけは、西口の開発状況であった。
それは、西口が既存の車道部分には手を入れない開発手法をとったからである。
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「狭い道のままでは、現在の交通渋滞の状況をみても、真の東口の発展は望めないのではないか」との考えに基づいて、道路網の整備も含めた開発計画の着手を昭和58年2月の協議会発足以来行なってきている。
昭和62年、横浜市より東口再開発のマスタープラン(基本構想)が発表された。しかし、これは事業化へ向けた「たたき台」という性格のものにすぎず、また綱島駅が渋谷側へ東横線複々線化により移動するという事態を迎え、基本的なところから、もう一度考え直す時期にきているという。
東口の再開発の現状と今後について、池谷会長は、「まだ、再開発に無関心な人がいるのも事実。また、最近再開発が待てずに部分的な開発も進められており、権利者の人達の意志固めを行なって行くことが最も必要だ」と述べられた。
発展の方向性を!
綱島の東口・西口の双方の再開発の現状とこれからを考えるうえで、きわめて大きな問題は、総合的なプランがいまだ確立していない段階では、結果的にミニ開発による単発的なものしか期待できないということである。
だから、街全体としてどのような人たちが綱島にやってくるのかということを、ここでもう一度考える必要があるのではないか。そうでないと、「はじめ土地ありき」で行なう街づくりは、意味のないものどころか、綱島の存在自体を掘り崩しかねないと思うのである。
では、次に住民の声をきいてみよう。
取材・文:西野裕久
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