編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.521 2015.03.14 掲載
  追跡! 地域問題
  Hotline
21
 地域問題を取材し、お伝えします!          
   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”

   掲載記事:昭和63年11月10日発行本誌No.44  号名「楸
(ひさぎ)

 

 中学生一家3人惨殺事件を考える


今年の夏は、全<の天候不順で、雲に覆われっぱなしでしたが、あたかもその前兆のようにも思えるような、暗いそして残忍な事件が、この7月、沿線に起こりました。

 目黒の中学生一家3人惨殺事件です。日本の犯罪史上でも例のないこの事件は、マスコミ新聞等で大々的に取り上げられました。
  今回の「ホットライン」では、事件の社会的背景なども考えあわせながら、ごくありふれた一般の家庭で起きた不幸なこの事件について、少し深<考えてゆきたいと思っています。

 
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         (プレイバック)

 昭和63年7月8日早朝、都立大学に近い高級住宅街、目黒区東が丘で目黒区立中学2年生の男子生徒(14)が、両親と祖母を包丁でメッタ刺しにし、殺した。

 日頃家庭内においては、祖母と母親が不仲だったことから孤立感を感じていたというが、そのような中で、学校の成績の低下、また部活のサッカー部でもレギュラーからはずれたことなどから、父と母にかわるがわる「勉強もクラブ活動もしっかりやれ」と言われ、事実この事件前夜も酒を飲んで帰ってきた父に小言を言われたことなどが動機とされているが、なぜこのような凶行にまで至らしめてしまったのかは、まだはっきりしていない。
 現在、少年は少年院へ送致されている。


      「教育アノミー事件」

 この事件の背景などについて社会評論家で、最寄駅白楽にお住まいの赤塚行雄氏にお伺いした。
 氏は、この事件を一種の「教育アノミー事件」であると、捉えている。

 アノミーとは、ギリシャ語で「神の法を無視する」ということであるが、この場合は、「不安とか抑圧が高まり自らが混乱し敵味方がわからなくなる状態」のことをいう。
 このような場合、一番味方と思える人にあたってしまうということが起こるという。
 今回の事件でも、「いい成績をあげなければならない」 という抑圧の中で、一体何が敵なのか味方なのか、どこに問題があるのかということが、分からなくなってしまっていた。そして、結果的には本来なら最も味方であるところの両親や、また非常にかわいがってくれた祖母までをも殺害してしまったのではないだろうかということである。

 精神的に混乱した状態であったことは、刺し傷が40か所から60か所にも及んでいることは余程のことであり、また事件前後の友達に対する言動、例えば肉親を殺したことを信用しない友達に犯行現場を見せたことなどから、否めないところであろう。
 しかし、警察の調べでも、精神や心理面での異常性は認められなかったわけで、この辺に今回の事件の不気味さがあると思われる。














 

   価値の画一化が問題だ

 では、一体何をして少年をかくも残忍な行動に走らせてしまったのだろうか。

 赤塚氏によれば、価値の一元化こそ最も問題であるという。つまり、学校の成績が良ければ全ていいという価値だけが絶対になってしまっている。



さまざまな価値観の導入こそが重要

 

偏差値の梯子を上がりつつ、夏休み前後して滑り落ち、それが家庭内暴力につながった例はかなり多いという。
 このことは、偏差値の価値から取り残された子どもたちが起こすのが校内暴力であり、またその中間に位置しているのが、いわゆる「いじめ」であると考えると、非常に根の深い問題であろう。

  さらに赤塚氏は、「価値の多様化が進んでいるとよくいわれるが、それは商品の色が違うとか機能が増えたといった表層的なレベルのことであって、根源的なところでは、価値の画一化が進んでいるのではないか」。
 であるから、「試験の成績だけでなく、例えば美術がよくできるとか、他の価値観を学校に導入する方向でいかなければならないだろう」と結ばれた。

     親と学校が共に

 今回の事件は、特に同じ年代の子どもを持つ親には、大変なショックを与えた。
 それは、全くどこにでも見られるような状況から、これだけの事件が引き起こされたからである。

 では、親の立場として今回の事件をどのように感じておられるのかを、地元目黒の区議会議員で、また家庭では中学生の母親でもいらっしゃる沢井正代女史にお伺いした。
 「子どもの中学時代は、遊ぶことについても、学ぶことについても大変重要な時期です。そして、『学ぶ』ということ自体が本来楽しいことのはずが、実際には、点数・偏差値といった一面的な学力を伸ばす方向で押し付けられたものとなってしまっています。
 親も先生も一緒になって、正しい意味での学力を身につけさせることこそが、子どもが大人になってゆく上で必要なことです。『家庭のせいだ』、『いや先生が悪い、学校が悪い』という中では、決して子供は救われないだろうと思います」

 子供・親・学校のこの三角形の一辺でも崩れれば、今度のような事件は、大なり小なり繰り返されてしまうのではないだろうか。
 事件後、周辺の人たちが残した「殺された親も、殺した子どももかわいそうで」という言葉が非常に胸にこたえた。

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 今回は、社会的な問題を取り上げましたが、皆さんの身の回りで起こっている問題、または沿線全体に関わるようなトピックスなど、何でも結構ですからお便りをお寄せください。

             取材・文:西野裕久

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