淡谷のり子
(姉妹型♀♀<本人・妹>=A−F型)
明治40年、青森市出身。大田区上池台在住。昭和4年、東洋音楽学較(現・東洋音楽大学)卒業後、歌手としてデビュー。昭和6年「別れのブルース」が大ヒット。昭和48年、日本レコード大賞特別賞、同47年、紫綬褒章受章。
TV出演、ステージ活動の現役で、「死に場所はステージ」という。その歌声と後進への忠告は衰えることを知らない。芸能界のご意見番。
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「あれは歌屋よ」といって物議をかもしたのは、ひと昔以上前。
この頃も、やはり、「歌屋」ばかりですか、と伺ったら、
「もっとひどくなってますよ。今のはホトンド、カスですよ。流行カス」
淡谷のり子さんの毒舌は意地悪ではない。本当のことを正直に言っているだけなのだ。
そして、自他共に認める「女王」なのに、毒舌が高所から発せられたお説教ではないので、第三者の耳にも心地よく響く。
「青森ナマリだから、私が言う“流行カス(=歌手)”になるわけよ」(笑)
と、救いを残しているところが、憎い。
スターを超えた、酸いも甘いもかみわけた、さすが人生の達人である。
子連れ出勤は、是か? 非か?
88年の女論を二分した観のある「アグネス論争の火付け役」も、実は、淡谷のり子さんだった。
彼女は「歌手は夢を売るものでしょ。楽屋でおしめを替えたり、おチチやってたら、どう思います」と、言った。
林 真理子がアグネス批判を開始する前に、のり子さんはアグネスを「冗談じゃありません。芸が所帯じみてしまう」と一刀両断に斬っていたのである。
「フジTV・「おはよう! ナイスディ」87年3月20日放送
瞳が隠れるほどのアイメイク、舞台衣裳は黒一色、ピアノにもたれて聴かせる歌。決して客に媚びないブルースの女王としては、「子連れ出勤」など議論にならない、甘ったれのタワゴトにすぎない。
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