小林早苗(血液型 B型)
作曲家、俳優の小林亜星氏夫人。同氏アシスタント・マネジャー。(株)アストロ・ミュージック役員。
昭和13年、渋谷区代々木生まれ。山脇学園女子短大・家政科卒後、ヘラルド映画・宣伝部、電通、TBS、女性コーラス・シンガーズスリーのマネージャーを経て現在に至る。
現在は渋谷在住だが、代官山に永年住んでいた。
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中学生の時、映画『パルムの僧院』を観て以来、ジエラール・フィリップのトリコになった。アラン・ドロンとジェームス・ディーンのいい所だけを集めたようなJ・フィリップは、満都の女性のあこがれだった。
早苗さんは、「彼」が来日した折に、セーラー服姿で会いにゆくほどの熱烈なファン。当時の中学生としては大変な「おませさん」で、彼女の興味の対象は、いつも同級生よりも4、5年上をいっていた。
この先取り感覚は、いつもフランス映画へ連れて行ってくれたお姉さんの影響かもしれないが、それ以上に生来のものであろう。
ヘラルド映画、電通、女性コーラスのマネジャーと、彼女の仕事が時代の波に乗って変わってきたのは、運ではなくて、その仕事を選んできた彼女の眼力。そして、現在、早苗さんの選んだ対象が、作曲家・タレントの小林亜星その人であった。
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小林早苗さんは創立期のヘラルド映画・宣伝部に入社して以来、ずーっと「裏方人間」だったのである。
当時、弱小だった洋画配給の同社で『忘れな草』『戦場』『太陽がいっぱい』『エマニエル夫人』などの名画、ヒット作を世に送り出してきた。音楽映画の『忘れな草』公開前には小学校の視聴覚教室へLPを持って巡回し、記録的な枚数の団体観賞券を売りさばき、映画興行界に大きな刺激を与えた。当時としては画期的なPR・商法だった。
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