「捕手は心理学者でなければならない」というのが野村氏の一貫した主張だが、沙知代さんは、コロンビア大学の心理科を卒業している。グラウンドであれだけ選手の心を読んできた実生活ではカラッキシだめで、「蔵が建つほど人にだまされてきました」と、おっしゃる。
現在、「野村克也はだませても、奥さんの目はごまかせない」というのが、関係者の間での評価である。
沙知代さんが野村克也に出会ったのは、氏が南海ホークスの監督兼捕手・4番打者だった頃、当時の野村監督の印象は「アカ抜けない、イナカッペ」だったと語る。
高額所得者だったにもかかわらず、野村氏宅の台所にはホームラン賞でもらったインスタントラーメン1年分があったりして(この辺がいかにも野村的でいいと思うが)、アメリカ生活が長かった沙知代さんの目には、なんと貧しい食生活、と写ったのだろう。そして、同棲。野村氏に言わせれば「食い物から彼女に変えられた」というワケ。
と、まァ、沙知代さんにかかったら天下の野村もまるで子供扱いなのである。バッター・ボックスの打者を撹乱してきた「ささやき作戦」。あの老獪(ろうかい)な野村捕手を思うと、ほほえましくもあり、不思議な気持ちにさせられる彼女のお話ではあった。
|

毎年Bクラスに低迷のヤクルト球団を情報を駆使した“ID野球”で、2度の日本一に上昇させた野村克也監督 |
|
|
|
沙知代さんは、ミニ「パウンドハウス」がオープンしたばかりの頃、すぐ近くの自宅が改装中のため、連日来店しコーヒーをすすり、時には洗い物のお手伝いまでしてこの店の主のような顔をしていた。「パウンドハウス」のケーキは今や地方から列をなして買いに来るほど、そのおいしさには定評がある。
一貫した手作り魂と最高の素材、甘みを殺したその風味。(実はボクもこの店の近所で、オープン当初からの大ファン。常連客なのでした)。沙知代さんは、いつもチーズケーキ。デンマークの本格レアチーズを使いレモン風味も爽やかだが、中に入ったまっ赤なサワー・チェリーが印象的である。
|
|
ここまでボクは、大野村の沙知代夫人にだけ見せる甘さばかりを強調してきたが、彼女か稀有の人・野村克也を心から尊敬していることは言を待たない。彼女の夫に対する真情は、この甘みのない、まっ白なチーズケーキの中にデンと座った、まっ赤なチェリー、熱きハートとボクは見た。
沙知代さんは「内助の功」という言葉を嫌う。夫婦はお互い、フィフティ・フィフティである、と強調する。
日本の主婦は往々にして「仕事を家庭に持ち込まない夫が男らしくてよい」と思っているフシがある。男のコケンを意識して、さらに、自分に自信がないから、そう言って逃げている。 野球界も一般のサラリーマン家庭も、この点は同じだ。スター選手の妻は、いつも、あいも変らず、山内一豊の妻がよしとされている。
しかし、野村氏は仕事のことを100%、否、120%家庭に持ち込んでくる。悩みはすべて沙知代夫人にぶちまける。ボヤきまくっているという。
野村氏は、人間の型を野球の守備位置になぞらえているが、その中で「捕手型の人間は、理想を追う。故に現実とのギャップによくボヤく」としている。ボヤキとグチは違うのだ。夢を追うから、ボヤくのだ。
「夫は我が家でも捕手型で、私は(身勝手な)投手型。それも暴投ばかりする愚妻ですわ」と解いてくれた。「投手型」は認めるが、その後の言葉は、大いなる謙遜と理解しょう。
小学校5年生の子息・克則君は学習塾へなど行かず、ひたすらリトルリーグに打ち込んでいる。 彼は言う。「パパは王選手にだけ負けた。だからボクはプロ野球の選手になって王さんの記録を破って、パパのカタキを討つんだ」
こんな素晴らしい夢を我が子に抱かせる野村夫妻に、拍手、である。
新しい捕手像をつくり上げた野村克也は、素晴らしい女性・沙知代夫人を得て、今、日本に新しい家庭像をつくりつつある。“沙知代投手”は、夫のサインをうけ、明日に向かってさらに大きく振りかぶる。そして、どんな暴投も野村克也はサラリと受ける。
|