編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.471 2015.02.14  掲載
 えんせん族
 
 岩井 久幸さん(27)


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和58年5月月1日発行本誌No.16  号名「柏」
 

    文/西野裕久(奥沢)  写真/小椋 (奥沢)
 いま、漫画界に
     はばたく



  矢口高雄プロ・
  チーフアシスタント
   

  岩井久幸さん
           (世田谷区奥沢6丁目)


 自由が丘街区の一隅、大井町線の線路端にあるビルの5階。ここが『少年マガジン』で9年間続いた『釣りキチ三平』で知られる、漫画家・矢口高雄プロの仕事場だ。6畳2間の仕事場は、矢口先生とアシスタントが黙々というか、モクモクというか、そういう中で厳しいプロの世界が、つきっ放しのテレビと、不思議な調和を醸し出していた。

 この矢口プロのチーフとして、矢口漫画を支えているのが、われらが、えんせん族♀竏芫v幸さん(27)である。
  チーフである岩井さんの仕事は、矢口先生と漫画の構想を共に練ったり、アシスタントの人たちの仕事をとりまとめたり、という重要なもの。つまり、一般に週刊雑誌などで漫画を描いている漫画家の多くは、決して一人で描いているわけではなくて、アシスタントの人たちとの共同作業で一本の漫画が成り立っている。まして、一見すればわかる通り、矢口漫画のように緻密な場合、1ページあたり6、7時間はかかるという。だから、共同作業をすすめるうえで、それを取り仕切る岩井さんの役割は非常に大きい。



矢口先生と打ち合わせ中の岩井さん


 岩井さんは高校卒業後上京し、デザイナー学校に在学していた頃から、矢口先生の強い誘いで、矢口プロに籍を置くようになった。それから、8年間矢口先生をして、
 「私はチーフの人材に恵まれている」と言わせるほどに、自らの地歩を固めてきたのである。

 しかし、その岩井さんも、『釣りキチ三平』が終わるにあたって、矢口プロから離れて、独立へと巣立ちを始める。
 「だれでも自然に溶け込みたいという本能は、時代をこえた永遠性のあるものであるし、まただれでも持っているはずだ」と明るく話してくれた。
  矢口プロを離れても引き続き、「自然物の描写を通して男のロマン≠描いてゆきたい」という。
 矢口先生いわく、「かれは絵がうまくて、努力家であって、そしてねばり強い」。

  今後も自然を描きながら、殺伐とした現代に生きる多くの子どもたちや大人たちに、ロマン≠与えつづけてほしい。


        [
りれきしょ]


 昭和30年、仙台市に生まれ、27歳。4人兄弟の3番目。子どもの頃から、兄たちの描く漫画に興味をもつ。仙台育英高校時代、漫画愛好会をつくり、活躍。卒業後上京しデザイナー学校で学ぶかたわら、2年生から、矢口プロのアシスタントとしての活動を始める。現在、チーフアシスタントとして、矢口漫画を陰で大きく支える一人である。
 趣味は釣り。(ただし、矢口プロで釣りキチ≠ヘ矢口先生と2人だけ)

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