編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.470 2015.02.14  掲載 

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 えんせん族
 
  原 英八さん(30)


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和57年10月月1日発行本誌No.13  号名「櫟
(くぬぎ)」 

    文
岩沢珠代(日吉)

茶碗に古代が見えた


  地元の土と木で焼く陶器
   

  原 英八さん
        (川崎市中原区小杉御殿町)


 白い土壁に手入れの行き届いた松。「大陣京」と呼ばれる名門旧家、原平八家の庭が、灯籠の光の中に浮かぶ。敷石を踏みしめて案内されたのは、りっぱなお屋敷の片隅の、小屋だった。裸電球に照らされて、笑顔が見えた。

 武蔵小杉周辺から出た粘土。そして、身近にある木の皮から採った染料。原英八さんは、それらを使って陶器を作っている。まさに、“えんせん族”である。
 部屋の中は、エッチングの機械に製図台。そして、本は美術から政治・思想に至るまで。地元の土で焼いたという陶器は……あった。台所の棚の上にいくつも。さまざまな調味料の瓶といっしょに並んでいた。

 彼は、「飾ってながめるよりも、暮らしの中で使ってこそ、本当の陶器と言えるんじゃないかな」と言う。また、「益子や信楽のような美人の土でなく、そこいらのブスの土。そのブスの土にだって味わいがあるし、良さかあるもんですよ」とも。

  地元の土や木を材料にしているから、奇異な目で見てしまう。しかし「今、有名な窯場だって、昔の人がただそこにあるものをひょいと使ったにすぎないじゃないですか」と、言われてしまった。当たり前のこと。自然のまま。けれども、この視点の違いに「ハッ」とさせられてしまった。

 彼は大学を途中でやめ、海外を放浪したり、さまざまなアルバイトをしたり……。
 「好きなことをやるのでなく、嫌いなことを除いたら、今のようになったんですよ」。
 こんな発想の仕方に再び驚嘆。彼のほうが、人間本来の普通の生き方をしているのかもしれない。だから、「世界一の作品よりも暖かい家庭の方を選ぶだろうな」という言葉も納得できた。





自作の陶器を菩提寺の縁日で売る原さん

 本当に、彼には魅力がいっぱい。下駄履きで町へ出る。その留守に友人が酒盛をしている。子供たちが野球に誘いに来る。野良猫さえ我が家のように過ごしている。
 だから、
4月と9月に
すぐ近くの菩提寺、西明寺で開かれる市も大盛況。
 沿線生まれのこの陶器、みなさんもぜひ手にとってながめてほしい。



        [
りれきしょ]


 昭和2612月、中原区小杉御殿町生まれ、30歳。 中央大学中退後、印刷会社勤務を経て、家業の建設業を手伝う。
 傍ら土に魅せられ、自作の薪(まき)窯で陶器・立体作品の製作開始、作品は「橘樹窯遺武釉子焼」と呼ぶ。子供たちにバカにされながら現在に至る。 好物は「玉丼にババロア」



               
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