タイからの留学生、チャロンラット・スントンプラパソン君、愛称チャロン。
現在、東京学芸大学附属高校3年生。外国人とは思えないほど日本語が上手だ。
一緒に日本に来たのは、チャロンを含めて4人。中学を出ると、難しいタイの国家試験を突破してやって来た。目的は一人一人はっきりしている。日本の大学で農業機械を学ぶ人、農産物製品と加工を学ぶ人、海の地下資源を学ぶ人、そしてチャロンは法学部で国際法と比較法を学ぶつもりだ。
現在タイと日本の貿易関係は、タイにとっては不平等なものに思われ、日本はタイのものをあまり買ってくれないという不満もある。
「でも日本に来てみたら、韓国や台湾の安くて良い製品がたくさん出回っている。タイも相手をよく見て対応する必要があると思った」。
これから法律を勉強して、将来はタイと日本の貿易関係改善に働くのだという。原則として2年間はタイに帰れない。
入試の難しさでは抜群の学芸大附属高校では「留学生だからと特別扱いはしていない」そうで、しかもチャロンの得意科目は、数学と漢文というから驚く。
「タイに漢字はありませんが、漢字を覚えると意味がわかってきておもしろい」という。
「日本に居て困ったこと、つらいことは」と聞くと、「何もない」と言い切る。
「タイでは自分の将来に見通しが立てられなかった。今は目標がはっきりしていて、その目標に近づくための努力なら少しも苦労と思わない」「国を愛すること、国が良くなれば自分も良くなる」。
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彼の言葉に、私たち日本人が忘れかけていた大切な何かを思い出させられた気持ちがした。
「彼らの存在がまわりの生徒たちにもいい刺激になっているのですよ」と担当の先生はおっしゃる。
しかし、チャロンにとって日本の高校生の話題が政治・経済ではなくて野球やプロレスであり、授業中は眠って放課後予備校に行くという生活が理解できない。何のために学校に来ているのか……。
チャロンはまた、うまい冗談で笑わせることが得意。大学ノートには日本語でたくさんの詩が書きためてある。そこには意外にも、繊細でロマンチックな一人の少年の姿がみえる。村野四郎さんの詩が好きという。
タイと日本の架け橋となって、がんばれ、チャロン!!
[りれきしょ]
1963年、タイのバンコク生まれ、20歳。小学校7年、中学校3年の後、日本に留学。
東京工学院日本語学校で1年半学び、東京学芸大学附属校に入学、現在3年生。
タイには父と母がいる一人っ子。自然が好き。学芸大学に住む。
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