ここは皇居に近い三宅坂の国立小劇場。入り口に『芸歴五十五年記念演奏会福原会』。この日の会主、6世家元・福原百之助師は当代の笛の名手。かずかずの芸術賞を受賞、束京芸術大学の講師として多くの子弟を育成、邦楽界の重鎮でおられる方。
日本の伝統芸術のなかでお囃子(はやし)≠ヘ、歌舞伎、日本舞踊、邦楽演奏には不可欠なもの。太鼓、鼓(つづみ)など数ある和楽器のなかでも、とくに篠笛はむずかしいといわれる。そのためか、女性の篠笛師は極めて少ない。
ところが、敢然とこの道に入った女性がいた。しかも、この東横沿線の新丸子に。この人、〃福原百華=A本名・本間尋子さん(24)である。東京芸術大学邦楽科を2年前に卒業、同時に人間国宝の福原百之助門下の名取となった。
その名披露目(なびろめ)を兼ね、きょうここに恩師主催の「福原会」に出演と聞き、国立劇場へ。華やかな装いの人たちを横目にロビーを横切り奥の楽屋に。
いた、いた、お目当ての百華さん。黒紋つき姿の新日本髪、長身がひときわ美しい。
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名披露目の、めでたい日。恩師で人間国宝の福原百之助先生とツーショット
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「オメデトウ」「おめでとう」……。千客万来の祝い客は、学友、お知り合い、さまざま。そこに恩師百之肋師もご出席。
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百之助師は、終始やさしい笑顔で愛弟子・百華さんのことを話される。
「この子は、ホントに素質がいいんですよ。百華の苗を陰で聴いていた人が、私の笛と間違えたりするんですからねえ」
この言葉には師の期待と子弟愛が感じられる。良き師に逢い、彼女の天分が、いま美しく開花、聴く人の心の琴線にふれる、そんな気がした。
師の横にいた母親の本間 洋さんが、娘のことを、
「修業中は苦しいことも多かったようです。でも、ひと言もグチは……。根っから笛が好きなんでしょうねえ。笛ばかりか、音楽と名のつくものならなんでも……。3歳頃には、人の弾くピアノを聴いてすぐ、同じメロディをおもちゃのピアノで弾いたりしていました」
以来20年余、いま邦楽の夜空に新しい、まばゆい星≠ェきらめく――。
[りれきしょ]
昭和33年川崎市中原区丸子通りに生まれ、24歳。3人姉妹の真ん中。調布学園高校のとき、笛の福原由次郎氏に師事。昭和51年東京芸大邦楽科に入学。在学中に芸大講師・6世家元福原百之助師の薫陶をうけ、55年東京芸大卒。同年、百之助門下の名取「福原百華」となる。
目下、5人のお弟子さんを特訓中。
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連日“百華の世界”の演出に多忙、最近の彼女
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