編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.446 2015.02.02  掲載 

   
   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”

   掲載記事:昭和57年5月1日発行本誌No.11 号名「欅
 
  浦河大地震で思うこと

  菅野 長吉

    元朝日新聞横浜支局長
    横浜市港北区仲手原

 「きょう、あす、大地震が起きてもおかしくない」と専門家は警告する。「大地震の心得」が叫ばれてからも久しい。

  果たせるかな、3月21日、北海道の浦河町でマグニチュード73の地震が起こり、同町で震度6の烈震を記録した。地震国日本も昨年来、何事もなく過ぎ、住民もその恐怖を忘れたかのようだったが、「天災は忘れたころに――」の格言を改めて思い出させた。


 
日頃の訓練の成果、火災なし


 町では全住民に避難命令を出し、対策に当たったが、幸いに、全住民が日頃の訓練を生かして、いち早く火元の火を消したため、火災による二次災害は一件もなくて済んだという。
 まことに結構な話だが、さて、これが東京や神奈川のような密集地だったらどうだろうか。浦河町は北海道の小都市だが、大都会となると生活環境は複雑で、仮に、各人が「大地震の心得」を忠実に守って行動したとしても、個人の範囲を越えたところで災害が起こり、これがわが身にも及ぶことになりはしないか。


 避難場所の実態


 街の要所には「この地区の広域避難場所は」という立派な標識が立っている。久しぶりの大地震で、改めてこの標識を見直した人も多いだろう。そして、その場所は、都・県・市などが条例に基いて指定したのだから、そこへ行けば安全だ、と考えるに違いない。
しかし、家族や地域の人々が命を預けるその場析が、どんなところなのか、そこまではどれほどの道のりで、どの道を通ったら安全なのか、病人や体の不自由な老人を、どうて運んだらいいのか――実際に自分の足で歩き、その眼で確かめてみた人がどれほどいるだろう。

 道路はコンクリート電柱のジャングルとビルの谷間。苦労して避難場所に着いても、私有地のため立ち入りできないところもある。開発作業のため子ども一人寝かす場所もないところもある。何万人という人が殺到するというのに便所一つないところもある。こんな受け入れ態勢では、途方に暮れてしまう。浦河地震を身近なものと感じた人々は、改めて思い戸惑うに違いない。

 広域避難場所は、都・県・市などが選定したとはいっても、「市街地から300b以上離れたところで、広さはこれこれ」という、条例に基く条件の下に、連合町内会単位で割りふりを決めたものだという。

 その後の土地利用の変化の状況によっては、再検討もしているというが、実情に合わない場所も多いようである。


避難場所に行ってみると・・・

 非難路にしても、各人の選択に任せるよりほかはない。例えば、路上の放置自転車などは大きな障害となるが、実際に地震が起こり、障害物と認められた場合、強権によって撤去する以外に事前の対策はないという。

 避難場所の受け入れ設備にしても、火災を避けるというのが目的であるから、それ以外のことはできない。警察は「事件、事故があれば対処する」と言う。消防署も「業務内のことは処理します」、小学校も「校内の安全は責任をもって――」という。もちろん、学校の先生方に校門外の話を望むのは無理な話だが、校内での避難訓練はやっても、地域的な避難教育をやっていない学校が多いのはなぜだろうか。


  自分の命は自分で守る


 浦河地震のニュースを身近なものとして調査した本誌の編集スタッフが、一様につき当たったことは、役所としては、住民の安全を保障する具体策は持っていない、ということだった。彼らのギリギリの答えは「実際に大地震が起こったら、その時は万全を期します」ということだった。

 われわれ住民としては、広域避難場所にしても役所の対応にしても、過大に期待せずに、この際、自分たちの命は自分たちで守る、という決意を新たにする必要があることを痛感した。

  イラスト:石橋富士子(横浜)






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