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編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子 |
NO.439 2015.01.23 掲載 |
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法政大学
第二中・高等学校の巻
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沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”
掲載記事:平成10年10月25日発行本誌No.71 号名「梔(くちなし)」
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前号の「横浜編」に続いて第2弾!
東横沿線の近<には本当にたくさんの学校があります。
そのワケは、70号で書きましたので省きますが、中学・高校の私学志向が他の路線よりも強いようです。
予備校のデータでもそれは明らか。教育熱心な区域なんですね。
学校のイメージもひと昔前とはガラリと様変わり。どの学校も実に明るく、自由な感じです。
個性が生き生きと発揮できる空間とみました。
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法政大学
第二中・第二高等学校
〜〜〜〜 最寄駅武蔵小杉 〜〜〜〜
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ほとんど全員が法政大学へ入れるので、のびのびと学園生活を謳歌しています。
甲子園出場10回のうち夏・春連続優勝の硬式野球部をはじめ、全国優勝のクラブは数多い。
体育・文化のクラブは46クラブ。いずれもアクティブな文武両道の法政二高!
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シンボルの時計塔が正面にある南門
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渋川沿いにある正門・武蔵小杉門
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広い校庭で数々のクラブの活動が展開されている
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学校今昔話 |
昔は法政第一工業、第二工業、そして法政工業学校がありました。が、それら3校は昭和51年に法政大学第二高等学校と合併されました。
敷地内には以前、法政大学短期大学部もありました。それも今は中学校として模様替え。時計塔だけは昔も今も同じ場所に建ち、その歴史を見つめてきた法政二中・法政二高のシンボルです。
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School Profile
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●生徒数 中学605名、高校1957名 総卒業生数33000名
●沿革
昭和14年(1939年)4月創立
●校訓・教育方針
法政大学の「自由と進歩」の学風のもと、新しい時代を支える豊かな人間性と学力を培い、平和と民主主義を尊重し自主的精神に富み、心身ともに健全な青年を育成すること。
●年間学費
(次年度以降)68万8000円(授業料ほか教育充実費など)
●卒業生の主な進路
★法政大学へ約9割が進学。
★ほか、国・公立校(筑波大・横浜国大・横浜市大など)、私大(早大、慶大など)へ進学。
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学校自慢 |
1. |
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学力・体力を全面的に発達させる教育に基づいて生徒は、大学受験に
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とらわれず、のびのびと学習している。 |
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2. |
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生徒会活動が活発で、46の文化・体育クラブがあり、アクティブに活動中 |
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3. |
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法政大学への無試験推薦入学制度があり、98年度からは学習成績が |
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一定水準に達していれば全員が大学に推薦される制度(有資格者全入)がある |
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4. |
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中学校では英語教育を重視。夏休みには合宿特訓学習、ニュージーラ
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ンドでのホームステイと現地の中学校での英語研修を行い、卒業までに全員が「実用英語検定3級」に合格する |
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ウチの学校のここが
すごい! |
◆その1
昭和35年夏と翌36年の春、柴田勲投手を擁して甲子園で2連覇を達成!
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昭和36年春、全国2連覇達成! 「法政二高」の名が一気に全国に轟いた日。前列右端がエースの柴田勲投手 |
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◆その2
広いグラウンドがあり、一昨年は新しい体育館が完成!
◆その3
校門(武蔵小杉門)前を流れる渋川沿いに咲くサクラ並木は、お見事!
◆その4
FM「かわさき市民放送」に生徒自主制作の番組「法政二高アワー」
(土曜午後3時〜)がある!
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名物先生
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◇哲学する心を伝授する(?)増子直文先生(高校)
◇元オリンピック選手でフェンシングがすごい下川禎順先生(高校)は,いつもコロンの匂いもふくいくと……。
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制服
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ブレザーは好きだが、
ネクタイは嫌い、との声が多い |
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有名OB |
○柴田 勲(元巨人軍選手)
○村上雅則(日本人初の大リーグ勝利投手)
○神和住 純(元テニス選手)
○長沢 純(元スリーファンキーズ・リーダー)
○岩合光昭(動物写真家)
○寺尾 聰(俳優・歌手)
○大竹秀之(元全日本バレーボールチーム選手)
○大島公一(プロ野球オリックス内野手)
○高田 誠(プロ野球オリックス捕手)
○西岡徳馬(俳優)
○横田順彌(SF作家)
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