「昔と今の慶応ボーイの比較」なんて、一体どこを基準にしてしゃべればいいんだね。勉強かね。遊びかね。それとも女にどれくらいモテるか、かね。
ケタ違いのお小遣い
そ、そ、いまの慶応には女性の学生もいたんだったねえ。ね、キミ、今と昔の金持ちじゃ、くらべものにならないよ。
昔の慶応ボーイっていうのは大体、金持ちの子弟が多かったんだ。昔というのは、ボクが在学していた昭和2,3年の頃の話だけど……。
当時の1円は、いまの4,5千円に相当したろう。お巡りさんの月給が27円の頃、月に100円の小遣いを使う慶応ボーイは大勢いたよ。
こんなヤツもいた。某財閥のある重役の息子だったが、ドイツからライカという高級カメラが日本へ入ってきた頃、その値が千円。そいつは、私と一緒に三越本店のカメラ部に行って、そのライカのカメラ一式を指さし、
「これ、もらっていくよ」
と伝票にサインした。三田通りの正門を下った右角に床屋、そこの細い路地に多田という質屋があった。あいつは三越本店から直っすぐそこへ直行するんだねえ。もちろん、新品のライカを質入れするためだよ。
ぼくの目の前で、8百円の金に換えたんだ。キミ、今の金でいくらだと思う? ざっと4百万円だよ。それがみんな小遣いに消えるんだ。
ハ一夕ロー″狙う不良少年
そういう連中だから、銀座へ行ってもモテるわけだよ。同時に不良少年に狙われるわけだ。そんな金持ちの坊ちゃんを「ハータロー」といって、不良少年のカモになりやすい。
だから、彼らを守る、ボクのガードマンとしての役割はますます重要視され、大事にされたものだよ。お蔭でボクは、当時1円のランチを毎日平気で食べていたんだ。いまじゃ、4、5千円の昼食ということになるがねえ…‥。
|
|
ノックス社の帽子
当時流行していたものは、ソフト帽。銀座あたりを歩く紳士がかぶっていたのが、英国ステットソンのソフト。
慶応ボーイはイタリヤのノックス社の帽子をかぶるのが粋だった。それは英国製より高くて最低20円、上は30円から50円だった。
当時プロスポーツといえば、プロ野球もなし、相撲ぐらい。だから、大学の運動部員といったらモテたんだよ。
その頃、カフェーの一流のお姉さんは月の稼ぎ高千円、つまり4,5百万円というのはザラだった。
そんな彼女たちの公休日には慶応ボーイのボクらがお付き合いするんだ。銀座を歩くと、彼女たちはプライドを感ずるわけだねえ。いまでいえば、プロ野球選手か歌手の有名人を連れて歩いているのと同じで……。
当時銀座に最高級洋品店「田屋」で「帽子買ってよ」といえば、お姉さんが30円くらいの例のノックスを買ってくれたりもしたもんだ。いまじゃ、15万円の帽子をポーンと買ってくれる彼女を持ってる学生、そんなのいるかなあ〜?
(記 岩田忠利)
|