編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.428 2015.0.1.06  掲載

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 日航副社長・町田直邸



  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和56年9月1日発行本誌No.7号名「萩」 

 
  取材・文:久保島(加賀)紀子 (日吉 会社員)  写真:川田英明(日吉)
  

    飛行機とお孫さん、そして俳句


     田園調布、坂の途中の高台にある町田邸


 あの赤い鶴のマークの日本航空の副社長に就任されたばかりの、町田直(なおし)さんのお宅訪問。
 本当に雲の上の方というのがぴったりのような気がしますが、私たちを迎えてくださった町田さんは、ゆかた姿のやさしそうなおじ様。

 
大きな家にご家族3

町田邸は、隣がジェリー藤尾宅、その向かいは、はかま満緒宅など有名人宅が居並び、いかにも田園調布らしい、坂の途中の高台にあります。
 部屋の中は、2度訪ずれたうち2度とも、まったく違った印象でした。1度目は、町田さんご夫妻とご祖母様だけで、整然とした静かな印象でしたが、2度目の時は、兵庫にいるお孫さんたちが遊びに来ていて、部屋中、おもちゃだらけの賑やかさ。
 「花びんは倒されますし、物を片づけてしまわないと大変なんですよ」
 とおっしゃりながらも、お孫さんの来るのを待ち望んでいる様子がうかがえます。二人のお嬢さんはすでに結婚、兵庫とケニヤに行ってしまわれたので、現在広いお家に3人暮らし。


  仕事一筋の大正っ子


 
大正7年、東京大森に生まれ、昭和16年に東京大学を卒業後、逓信省に入り、運輸省の事務次官にまでなられた方。その後、成田空港問題で一番激しい時期には、新東京国際空港公団成田の副総裁を務め、昭和55年に日本航空の専務、そして今年の6月に副社長に就任されました。

 飛行機、それも日航といえば、派手なイメージ。
 ところが町田さんは、「あんな地味な人が、飛行機へ?」と身内の方に笑われたくらい、地味な方だそうです。奥様から見たご主人は、
 「代表的な大正生まれの働きバチですね。気ばったり、かっこつけたり、人気取りが一番嫌いなんですよ。ゆかたでも着てビールでも飲めば満足なんですのよ」

 私がたまたまおうかがいしたのが千代の富士の優勝の日、
 「ぼくは北の湖が好きなんだよ…」とおっしゃった町田さんとイメージが重なってきました。40年余り、仕事一筋。かといって、お金のために仕事をするという気持ちはもうとうなく、仕事が生きがいといった、本当に大正の男性そのもの。若い頃、お子さんたちと親子4人で劇を見に行った時のエピソードを奥様は語る。

 「劇が終わりましてね、帰って料理作るのも面倒だから食事をして帰りましょう、と私が言いましたら、主人が、『劇を見るときは劇だけでいい。食事といっしょにするな』って、カンカンなんですよ。遊ぶのはあまり上手な人じゃないんですよね」
 こういう方だけに仕事にはきびしく、作ろうと思えば作れる暇を作らない。
 


応接間で奥様のお母様も加わってのインタビュー













 


雲上のお方かと想像していましたが、ゆかた姿の優しい副社長さんでした
 

  奥様思いの優しさと俳句で
       家庭をくつろぎの場に


 
代表的な大正人といったら頑固な寡黙の人といったイメージがありますが、町田さんには意外にナイーブな面もあります。 2人目のお嬢さんが結婚されてケニヤヘの転勤に奥様が送って行かれた時、「一人で帰れるから大丈夫」 という奥様をパリまで迎えにいらっしゃったそうです。それは、大切な娘を手離したった一人で日本に帰らねばならない奥様に対する心づかいだったのでしょう。この時のパリでの3日間が、お二人の一番長い旅行だったとか……。

 忙しい仕事の合い間をぬって、幼少の頃から親しんでこられた俳句作りは、
 「気分転換に、ふっと落ち着いて、自然の中に入り自然をうたう…、句作をしていると、ハリがありますね」
 と言う。お孫さんが帰ると生きがいがなくなってしまうという奥様に、
 「俳句を作るように勧めているんですよ」とか。

 家庭はくつろぎの場だと町田さんのおっしゃる言葉どおり、くつろげる場としての町田宅を感じさせられました。

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