編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.417 2014.12.16  掲載

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 ローマ法王謁見



  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和55年9月30日発行本誌No.2 号名「秋」

 
  文・写真:岩田忠利


      信徒7億4千万人の“父” ローマ法王、お目見え


 「仏教・キリスト教交流親善使節団」の一員で



“ベルリンの壁”ベルリンの壁の前で
 私たちの一行は政治と無関係の宗教団体ということで特別に共産圏の東ドイツへの入国許可が下り、市内観光。だが、バス内に警官が乗り込み、撮影は一切禁止

 取るものも取りあえず、私は箱崎へかけつけた。創刊号の出稿がやっと終わったのは、その
30分ほど前。それからの旅支度、その忙しさといったらない。

 それは、昭和55年6月17日から11日間、仏教とキリスト教の友好を深める「仏・キ交流親善使節団」の一員としてヨーロッパ4カ国への旅立ち……。

  使節団は真言宗豊山派管長・総本山長谷寺化主の川田聖見大僧正(日本仏教会副会長)を特使とし、永見聖宏団長以下僧籍にある人たちと近親者ら総勢30人ほど。私は、特使の川田大僧正が友人の父であるよしみで、在家の徒として特別に参加の栄に浴したのである。







      
ふしぎな街ローマ

飛行時間だけでも17時間20分を要したローマ、その割には第一印象はよくなかった。
 空港で出会ったイタリア女性は痩身で見目うるわしい。なのにその足元はゴミだらけ。まさに掃き溜めに鶴≠フ感がした。


  しかし、ローマという街は不思議な街だ。滞在するほどに悪印象を補うにあまりある魅力が後からどんどん湧いてくる。街全体に2000年前後の遺跡がゴロゴロしていて、はかり知れない石文化と歴史の重み。

 そこに住むイタリア人の、愛矯があって人なつっこくクヨクヨしない陽性の国民性。さらに私が気に入ったのは、食べ、歌い、恋をする≠アの三つをやってから、やおら「働こうかな」というお国柄。

 
泊まったホテルの斜め前がアメリカ大使館。早朝けたたましい救急車の音がした。あとで聞いたら、ベネチア・サミットに出席するカーター米国大統領が到着したのだそうだ。日本だったら、大変なことである。



子どもも陽気なローマ



       私たち異教徒を歓迎するローマ法王


  

その日の午後、私たち一行のバスは、ローマ法王謁見のためバチカン市に向かった。バチカンはローマ市内にあって4.4平方キロの領土に2000人ほどの国民を数える、れっきとした独立国だ。

 これを治めるのは、世界7億4千万のキリスト教信者の父、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世。この国の中心地はサンビェトロ広場で、世界中で最も重要な教会がある。ここは地球のすべての果てからくる巡礼者のメッカともなっている。

 バスが着いた時には群衆がいっぱい。一行は緋の衣をまとった川田大僧正を先頭に行進、群衆の見守るなか、柵の間を通って壇上近くの席に着いた。同じ着席者だけでも数千人。みな世界各地から集まったキリスト教徒で、立ち見席の群衆まで数えると、ざっと5万人と聞く。



群衆の中を緋の衣をまとった川田大僧正(前から2番目)を先頭に行進する一行




   


バチカン宮殿サンビェトロ広場の大群衆3万人注視のなか、ローマ法王、パウロU世と川田聖見団長(手前)との会見シーン。右の男性は通訳


 広場の一角から怒涛のような拍手と歓声――。遠くに米粒のような白衣の人がオープンカーに乗って手を振っている。断続的に起こる騒ぎのなかで見え隠れしていた法王の姿がしばらく見えない。

 やがて近くに歓声……。法王が見えた! 柵の手前で車から降りられる。市民からパーパ≠フ愛称で親しまれているあの顔は満面笑み、私の前におられた川田特使とまず堅い握手、それから通訳を交えて何やら対談……。

  法王から1、2メートルの至近にいた私は、後から押される群衆の圧力にやっと耐え、カメラのシャッターを切るのが精一杯。その間、5、6分の出来事だった。

  その後、静かに壇上に登った法王は、5カ国語でスピーチ。遠来の異教徒、私たちへの挨拶は英語で祝福と歓迎の意を丁重に述べられた。それに応える一行は全員起立、深々とこうべを垂れる。
 そこにまた、すべての聴衆が立ち上がって贈った共感の柏手はいつまでも鳴り止まなかった。

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