編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.415 2014.12.12  掲載

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   ここに幸あり



  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和55年7月70日発行本誌No.1 号名「夏」

 
  文・写真:岩田忠利




「柳下さんの感性表現を日本のすべての人に見てもらいたい」(歌手・布施 明)


 偏見の嵐のなかで
          バレエ一筋



 
柳下さんは去年、モダンバレエで輝く賞を一度に3つも独占した。文化庁芸術祭優秀賞、舞踊批評家協会賞、芸術選奨文部大臣新人賞……。

 その喜びを「一生に一度は、こういう波って来るんですよね」と淡々として語る。
 表彰対象は、深沢七郎作の「楢山節考」それをかれ自身が振付け、出演した。その演技は、
かれ独特の持ち味といわれる妖気″が漂い、台本どおり退廃ムード満点だった。

  踊りはじめて23年、その道程はキビしかった。生まれ育ったのは、品川区大井町の神社のまん前の家。お囃子とお神楽の中で遊び、踊りが大好きだった。


  
柳下規夫(やぎした のりお)さん

 昭和23年東京大井町生まれ、32歳。玉川学園大芸術学科卒。柳下モダンバレエ代表。
 川崎市中原区井田在住。


 





 7歳でモダンバレエの先生の門を叩く。だが、「生徒は女の子ばっかり、恥ずかしさの余り、一カ月でやめた」。
 しかし「子供心のどこかに踊りへの強い情熱」が残っていた。すぐにまた、始めた。以来「絶対に止めない」の強い意志が今日まで。そのかいあって、文字どおりフットライトを浴びることとなったのだ。

 バレエをやっていることで、「子供心に傷つくことが多かったですね」。大人になってもまだ、「男の仕事としては認められない。社会は偏見だらけですからね」。

 そんな嵐もなんのその、「40までこのまま、つっ走る」と今日も人生の振付けを考えている。



    検車の半生、叙勲で飾る


  「表彰も基準があると思うんですがね、ボクは高等小学校だけで……」。元住吉東口の静かな住宅街。

  飾りっけも、おごりもない。そんな自然態の内藤さんである。

 東急勤務43年、私たちとしごく関係深い。しかも、「元住吉検車区長」を長いこと務めあげた。
 この春、東急車輌部
430人のうち、ただ一人の叙勲勲六等瑞宝章″である。

 最初の勤め先が「電車を修理する元住吉工場」、東急各線には1カ所ずつの検車区、東横線では元住吉にある。
 一日中、働き続ける電車にとって、それは楽しいわが家″に相当する。それを温かく迎えるのがお役目で、「車輪などいろんな機器を検査する。それから屋根に登ってパンタグラフも…」

 
ときには「車軸の折れやタイヤの亀裂などの故障」の発見が何度も。そのたびに表彰された。もちろん、脱線や大事故の直接の原因となるからだ。発見方法は、
 「ハンマーでたたけば、音が違うんですよ」

 お蔭で私たちは安心して居眠りもできる。それにしても東横線は格別に乗り心地がいいが、
 「バネ装置と連結機がほかの線のとは違うんですよ。空気バネ≠ニ密着連結機≠ナすから、ショックとガタがない」

 東横線は新聞ダネにならないけれど……。「国鉄は親方日の丸。甘ったれてますよねえ」。もし東急に事故があれば「五島昇社長が『国鉄並みになったあ! もっとフンドシ締めろッ』って怒り心頭ですよ、きっと」

 この一言、国鉄サンに聞かせたいもんだ。


 内藤 衛(ないとう まもる)さん

 大正9年、川崎市中原区木月住吉町生まれ、60歳。
 川崎市立住吉尋常高等小学校卒。 現在東横車両葛ホ務。
 川崎市中原区木月住吉町在住。

  




 天野由加里(あまの ゆかり)さん

 昭和34年綱島生まれ、21歳。
フェリス女学院大学国文学科4年。
2人兄妹。横浜市港北区綱島西在住。


ミス横浜は、生粋の綱島っ子


 「笑顔を振りまくだけじゃなく、もっと身近かな市民運動にも、積極的に参加してみたいの」
 ミス横浜・天野さんの開口一番である。

  大学では中古文学を専攻。卒論のテーマが「平安朝文化と三途思想」で、仏教の輪廻を研究する。そのために、夏休みのハワイ旅行も断念した、とか。

 人生観「自分のカラに閉じこもらずにいろんな人とのふれあい、それを大切にしたいですね」
 この言葉どおり、生花・ドライブ・テニス・ゴルフと幅広い。まだある。アルバイト先も、結婚式場の巫女(みこ)になったり、家庭教師になったり。なにごとにも挑戦する気概は、頼もしい。

 最近の男性って、「そうねえ、女性化しすぎていると思うわ。もっと背筋がピ−ンと張った日本男児が、わたし、好きなの」、とキッパリ。
 そんな彼女の唯一の弱点は地震。わずかな揺れにも「机の下にもぐったりして…。わたしって、本当は臆病なの」けれんのない笑い。

 綱島駅から歩いて12分。喧騒の街がうそのよう。静かなマンションの外は、小鳥のさえずり、風の音。
 「祖父がこの間まで綱島で旅館(有名な後楽園、甲子園)をやってました。小学校から高校まで田園調布の雙葉″で…。綱島と東横線は、私のふるさと。旅行から帰って、東横線に乗ると、ホッとしますね」

 大きな瞳を見開いて、屈託のないハマの顔″は、東横沿線の顔でもある。



     “ハマの顔”は行動派

 
夜、明かりを下に見る高島台の一角、自宅応接間で。ひときわ目立つ、大きな眼がキラキラ。
 「一つは学生生活最後の思い出に。もーつは社会勉強に。二次的には、親しい友だちがミスユニバースになりましたので、それに刺激されて」とソツなくミス横浜志願の弁。
 念願かなってからの変化は、「横浜の知らない面、気がつかない面、いろんな点がわかりだして、横浜に住むことを誇りに思えるようになりました」
 言葉のはしばしに、つねに問題意識を持って生きる、そんな前向きの姿勢がうかがえる。続いて、結婚観。
 「あまり考えていません。とにかく一度の人生ですから、自分の可能性を試してみたいのです。偉ぶっちゃって……」
 これには当方も大賛成。これほどの人を早く家庭に押しやるテはない。では、どんなことでその可能性を?
 「どんなハードなスケジュールでも、これと思う仕事をやりたいの。例えばテレビやラジオの世界で…」

 なかなかの行動派お嬢さんである。大学ではゴルフ部。東日本学生ゴルフ同好会の連盟委員という。お顔も広いようだ。
  一番の喜びは「ゴルフコンペで入賞すること。それと、ミス横浜のお仕事の電話が協会からあったとき」
 笑顔がいい、と当方つい、口を滑べらせたら、
 「あの時、審査員から笑いなさいって言われましたけれど、顔がピクピク引きつっちゃって……」と笑った。
  人生の春。また、これからが、海の季節。“ハマの顔”が活躍する時でもある。





伊藤 典子(いとう のりこ)さん


 昭和33年5月、東京湯島生まれ、22 慶応大学図書館情報学科4年。一人っ子 横浜市神奈川区松ケ丘在住。

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