編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
  NO.335 2014.10.31  掲載 

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樹木  

民話作家 萩坂 昇(日本民話の会会員。川崎市中原区中丸子) 


 東横線・反町で下車、5分ほどのところに神奈川区台町に大綱金刀比羅(ことひら)神社がある。昔は、漁師の守り神で金刀比羅と飯綱権現(いづなごんげん)をまつり土地の人から金比羅(こんぴら)さまとよばれている。

 神社の下を昔の東海道がとおり、社殿の左には、池があり、そばの洞窟のおくには不動明王がまつられている。

 昔、池をおおいかくすように天狗の腰掛松という大きな松がはえていた。

 満月の夜になると、はるかからリ−ン、リーン、リンリンと鈴の音がきこえてくるが、この松のところでそのひびきは、ぴたりととまるのだった。

 ふしぎに思った村の一人がかくれてうかがっていると、

 「われは武州高尾山の天狗。上総(かずさ)の加納山の仲間のところへ遊びに行くのだが、ここでひと休みしているのじゃ。これは、天狗の腰掛松。伐(き)ってはならぬぞ」
 と、いう声が木の上からふってきた。

 この話がひろまって、大綱金刀比羅神社は天狗といえば大綱か″といわれるくらい知れわたった。

 そんなある日、江戸の金比羅さまを信仰する男が大きな天狗の額をつくらせ四国の金比羅さまへ奉納しようとかついで神奈川宿へきたとき、きゅうに額の天狗が重くなって一歩も前にでることができなくなった。困った男は、天狗を地べたにおいてためいきついていると、額の天狗が告げた。

 「わしは、四国へいきとうない。高尾山の仲間がくるここの飯綱権現に奉納せい」
 男は、なんとしても四国の金比羅さまへ奉納せねばと、四国へいく船にのりこんで沖へでたとき、とつじょ、突風が吹きまくり波はさかだち、船は、台町の浜へおしかえされてしまった。

 つぎの日、海は凪(な)いだので安心して船にのり沖合へでると、また、突風がおこり、波はさかだち、船はおしかえされてしまった。

 なんどやってもおしかえされてしまう。

 男は、江戸へ帰ることもできず宿で船出の日をまっていると、額の天狗が、
 「あれほどにいったのにまだ四国へ行くというのか。わしは、ここの金比羅が気にいったのじゃ。ここにかかげるのじゃ。すれば、漁師の海難事故をふせぎ、大漁を約束する」
と、いった。

 男は、かしこまって額の天狗に手を合わせて詫びた。そして、大綱金刀比羅神社に奉納したという。

 たて1・5メートル・幅90センチの額の中の天狗だが、天魔もおののく顔で目をむいて海をにらんでいたというが、いまは、なくなって拝することはできない。

 天狗は、羽うちわをもった山伏姿にえがかれているが、もともとは山の自然を見守り、その動きに山の心をみようとした人々のつくりだした日本的な山の神だったのだろう。そのため、きわめてけがれをきらい、山のおきてをやぶる者には、きびしい罰をくだした。

 神奈川の浜にあり浦島伝説を伝えた龍灯の松(下の写真)も天狗の腰掛松といわれた。これを高島嘉兵衛がきこりに伐らせようとしたら、きこりの手がきゅうにしびれ鉞(まさかり)を落とし、しびれはとまらなかった。ほかのきこりにかわったが、その者もしびれて伐り倒すことができなかったという。



       絵:石野英夫(元住吉)


  子安浜・漁師に灯台の役割を長年果たしてきた、“龍灯(頭)の松”。右下が子安浜

 子安浜の漁師たちは昼間この大きな松の木を目印に海上の位置を定め、夜はこの木に掛けた灯篭を目標に帰ってきたという。
 江戸とその近郊の名所を描いた『江戸名所図会』(天保7年<1836>発行)に掲載され、こう記されています。
 「寺の後ろの方、山の頂にあり。伝へいふ。この樹上今も時として龍燈の懸かることあり。当寺の本尊は龍宮相承の霊像なれば、その証としてかくの如し」
 写真の“龍灯(頭)の松”はすでに枯れかかり、切り倒す前の明治末期の撮影

 提供:増田ハルさん(神奈川区白幡南町)


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