編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
   NO.334 2014.10.31  掲載   

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樹木  
   
民話作家 萩坂 昇(日本民話の会会員。川崎市中原区中丸子)


 「きつねやムジナは人を化かすもんか。うそだい。きつねの嫁入りのちょうちんは、夜光虫の集まりだい。テレビでやってたぞ」という子どももいますが、川崎市中原区井田町には、明治うまれのおばあちゃんが集まって井田山のムジナの話をしていました。

 田辺リセばあちゃんは、
 「うちのとうちゃん (主人) は、荷車に野菜をつんで東京の渋谷のほうへ売りにいって夜中に帰ってくるんですが、うちについたとき、戸を三つたたくのがただいま≠ニいう挨拶なんです。

 秋もしまいのころの夜だったですよ。車のきしむ音がして、トントントンとなったのてわたしは、お帰りなさい≠ニ戸をあけたのですが、だ−れもいないのです。

 しばらくたって帰ってきたとうちゃんは、それは、井田山のムジナがいたずらしたんだべ。と、いっていましたよ」



              絵:石野英夫(元住吉)  題字:作者

 相原トミばあちゃんは、
 「冬のさむ−い夜、井田山からムジナのなき声が聞こえてきましたよ。それを聞いたじいちゃんは、今夜は、大雪が降るぞといっていました。わたしが、どうしてって聞くと、ほれ、ムジナがキンタマが凍るって泣いているでねえかといいました。わたしは、まさかと思いましたが、夜が明けると、一面の銀世界でしたよ。ムジナが天気予報をやってくれたんですね。テレビの代りでしたよ」

 相原さんは、きつねに化かされたおばさんをこの目て見たといいます。
 「薄暗くなって井田山を越えてきたときだったよ。行商にくるおばさんが、着物の裾をまくり上げて、川を渡るように『ふけえ、ふけえ』と、目をつり上げて、同じところを行ったり来たりしているんです。

 わたしは、間違いなくきつねに化かされたなと思って、山をかけおりておじさんを呼びに行さましたよ。
 おじさんは、きつねの好きなスルメを持っていたからだべと、山へくると、キセルにたばこをつめて火をつけて、おばさんにすわすとシャンとしましたよ。

 きつねは、たばこのヤ二と硫黄が嫌いといいましたね。わたしも夜に下田へお使いにいかされたとき硫黄のついたつけ木をふところに入れていきましたよ。いまのマッチだよ」

 長瀬マサばあちゃんは、

 「下小田中の田んぼの中に 『おつなぴんすけごんごろいなり』っていう3つの稲荷さまがありましたよ。それは、『おつな』『ぴんすけ』『ごんごろ』っていう3びきのきつねをまつったんですよ。

 人を化かすのが上手でね。おつなは、きれいな娘に化けて、『井田村の松衛門の娘、おつなと申します。よろしく』と、なれなれしく近よってきて、弁当なんか盗ったといいますよ。それで、3つの稲荷さまをつくってまつったら化かさなくなったんだって。ほんとだよ。その稲荷さま(下の写真)は、いまもあるでしょう。行ってお詣してきなさい」

 井田山からテラテラ、テラテラと日吉の山へ向かってあかりが動いていくのを見た人もいて、きつねの嫁入りだといっていました。
 「とうよこ沿線」編集室のあるところになるのではないでしょうか。



   昭和15年(1940年)のピンスケ稲荷

左下に少し白いものが見えるのは富士通の建物の一部
 提供: 内藤伊勢治さん(中原区下小田中)






大戸小学校正門前に移した現在のピンスケ稲荷
撮影:岩田忠利

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