
当時の川幅は子どもが飛び込んで一息で対岸に着けたほどでした。水は澄んだ清流で、飲料水として使っていました 提供:池谷光朗さん |
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身近だった鶴見川
司会 池谷さんのお宅は鶴見川のすぐ近く、屋号が“河岸(かし)”でしたね。子供の頃の鶴見川は、どんなでしたか。
池谷 当時の鶴見川には、ウナギ・コイ・フナはもちろん、手長エビ・モクゾウガニがたくさんいましたよ。釣りや四手網、竹で編んだ“ド”なんかでよく魚捕りして遊びましたねえ。
当時学校にはプールがなかったですから、先生が授業として鶴見川で水泳を教えたり…。また鶴見川の水でお茶を飲むと、非常にまろやかで美味しいというのでわが家の祖父母は、よく鶴見川まで水汲みに行きましたよ。昔の鶴見川はいろんな恵みがあり、とても身近でしたねえ。
司会 現在の綱島には桃の木は殆ど残っていませんが、桃栄会商店街・桃雲台という場所・ピーチゴルフセンターなど桃にちなんだ名前が往時を物語っています。綱島桃″の創始者は、池谷さんのおじいちゃま・道太郎さんでしたね。
池谷 そんな先祖の苦心を偲ぶという意味もあって、わが家ではまだ桃栽培をやっています。もう私の所くらいでしょう、綱島では。 |
地名「かながわ」の由来は…
司会 神奈川県のかながわという地名のルーツは、江戸時代多くの旅籠屋(はたごや)が軒を並べていた東海道の“神奈川宿”あたりともいわれています。照本さんは、その由緒ある町で代々宮司さんをしていらっしゃる。地名の由来はどうお考えで?
照本 神奈川″の地名は、東海道の神奈川宿にあった旧町名の神明町に流れていた神無川″という小川があります。「かんながわ」がつまって「かながわ」と…。この説を他の地区の人が聞くと、問題ありと言いますが、われわれ地元ではそう信じています。
憧れた東横線
司会 照本さんのお宅の周囲も鉄道が何本も通り、いくつも駅がありますね。
照本 早くから展(ひら)けた地ですからね。JRの東海道線と横浜線、京浜急行と東横線と…。今の横浜線は、むかし“原町田線”といって原町田まで行っていたんですね。あの辺の東横線の駅も戦災をうけて神奈川区内だけでも2駅がなくなっています。反町〜東白楽間の「新大田町」駅、それから横浜〜反町間のトンネルを抜けてすぐ脇にあった「神奈川」駅、どちらも駅間隔が短かかったのですが、空襲に遭って戦災後に廃駅になりました。東横線だけでもこれだけ駅があったということは、町が栄え、乗降客が多かったからかな。
司会 こんなに何本も鉄道が走っていて、照本さんの学生時代はどの線を使っていましたか。
照本 旧制中学が西区藤柵にあった横浜第一中学校(現希望が丘高校)でしたので、京浜急行を主に…。
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照本 力さん
(神奈川区代表) |
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で、東横線で通っている友達はみな頭の良いハイクラスの連中が多くてね、あの東横線を羨しいと思ったものですよ。その当時の京浜急行の車体はボロっちかったからねえ。わざわざ横浜駅で京浜急行から東横線に乗り換えて反町駅で降りたり東白楽駅で降りたりして遠回りしてねえ、東横線には憧れたものですよ。
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東神奈川〜綱島間の乗合馬車
司会 山室さんの幼少期、幼い目に映った、特に珍しいものといったら?
山室 一頭立ての乗合馬車、それに御者が真鍮(しんちゅう)のラッパを吹いてガタガタ進む情景は、今になると珍しく、懐かしいものでした。
それは大正6、7年頃のこと、乗合馬車の発着所は東神奈川駅東口にあり、二ッ谷〜六角橋〜菊名の待合所を通って終点綱島まで行きました。まず第1待合所は現在の神奈川区役所の斜め向かいにあり、広台太田町の足袋屋。つぎは現在の六角橋交差点の所。ここから今の旧綱島街道を曲がってホコリっぽい道をパカパカ走って現在の大綱橋を渡った所が終点でした。 |

乗合馬車 |
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これが東横線開通前の、のんびりした唯一の交通機関でしたね。その後、銀色の小さな“乗合自動車”に変わり、震災や東横線の開通であの懐かしい路線も消えてしまいましたねえ。
司会 自転車さえ珍重がられた時代、交通事故なんてありませんよね?
山室 それが、事実あったの。馬が引く馬力車″にさえ轢かれて亡くなった子供がいたんですよ。空車には、私たちお転姿娘があとを追いかけて飛び乗ったりしたものですから、そんな速さですよ。それほど当時は、人も車ものんびりしていたのね。
“院線”ってどんな鉄道?
司会 日本の国有鉄道は、呼び名が変わっていますが、山室さんの娘時代は何と呼んでいましたか。
山室 娘の頃、伊勢佐木町の入り口の横浜館という活動館に映画を見に行くとき、友達のお母さんが「院線で行きな」と言ったのを聞いて、二人で大笑い……。
昭和に入って鉄道院の院線は、すでに鉄道省の管轄で「省線」に変わっていたのです。私が中華街のことを「南京街」と言っては、最近みんなに笑われるのと同じですねえ…。
司会 国有鉄道の呼び方も、いろいろ変わりましたねえ。院線から省線へ、そして“国電”が最近はJRに、と…。
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山室まささん
(港北区・神奈川区代表)
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大正11年乗合馬車綱島発着所入船旅館前
手前の橋は水路の橋です。東横線開通前まで東神奈川駅東口〜二ツ谷町〜斎藤分町〜六角橋〜白幡〜仲手原〜菊名〜太尾〜大曽根〜綱島。約1時間かけて走り、運賃は15銭でした
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