私は昭和4、5年ごろ青年団の役員で、花火大会のたびごとに、警備やなにやらで召集されました。ま、おかげで弁当をもらって、いちばんいい席で花火見物ができましたけどねえ(笑い)。
司会 見物客はどの程度あったんですか。
小林 30万人くらいでしょう。
司会 花火見物の仕方は、小林さんみたいに桟敷で見物するのが最高ですか。
小林 最高はもっと上がありましたよ(笑い)。いちばん高級なのは、東京の人たちが多摩川べりの料亭にあがって、浴衣がけで女性と一緒に花火を見ながら一杯、そして花火が終わってゆっくり洒を…、というのでした。中程度は堤防桟敷。一般のだれでも見られるのが洪水敷という広場、ここは無料の席でした。ともかく、丸子の花火はとても大きくて3尺玉なんていうのも打ち上げて、京浜地区ではおそらく一番有名だったでしょう。
司会 それほどまでに有名な花火が、どうしてなくなったんでしょう?
小林 戦争で廃止になり、戦後また復活したのですが、車の交通量が急増し大渋滞になるという交通事情のためにできなくなったのですね。
|

昭和25年5月のポスター
提供:羽田 猛さん(矢向) |
|