編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.313 2014.10.20  掲載

        


  筆者:アルメル・マンジュノさん


  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師

 

   日本人の年齢観に思う 
      

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:平成2年5月10日発行本誌No.50 号名「柾
(まさき)

   


 
皆さんはどうか分かりませんが、私は1990年という数字が大いに気に入っています。たった今始まった新しい区切りの10年、これに自分も同時代人として参加できる喜びを感じています。

 子供の頃、「21世紀には…」と思いを巡らせたものですが、90年代と聞くとさすがに想像が現実になるのも、あと僅かいう気がしてきます。

  「誰ですか、それだけあなたは歳を取ったんだ」なんて言う人は……。




    年齢に支配される日本人


  歳といえば、私が来日したばかりの頃、お母さんに子供の歳を訊ねると、必ず「小学校3年生」などと学年で答えるので面食らいました。あとになって教育制度の関係から学年を言えば年齢がすぐ分かるということを知りました。

 日本では高校卒業までは事実上落第がなく、その後は浪人や留年はあっても、殆どの人が
23歳や24歳には大学を出て社会人になってしまうのですね。そのせいか、日本人は他の国の人に比べ、知らず知らずのうちに年齢に支配されてしまう傾向が強いようです。

  フランスでは大学へ行くべき歳なんてありません。秀才なら16歳で、遅い人は20歳、あるいはもっと過ぎてから。幾つで入ろうと世間体が悪いということはありません。
 仕事の世界も同様で、年齢制限はありません。ただ官公庁の採用試験は別ですが、それでも
30歳をゆうに超えた人でも受験できます。




    歳の差なんて…


  
さて、話を日本に戻すと、社会人になってしまえば男性の方はそれほどではありませんが、女性の方は後々まで“年齢の暴君”につきまとわれっぱなしといった感があります。

  例えば、電車の中吊りの週刊誌の広告を見ると、必ずといっていいほど女性タレントの名前や顔写真に年齢が添えてあります。機会あるごとに年齢を思い出させる魂胆があるように思えてなりません。また女性の服装を見ても、20歳前後はとても大胆な装いをすることもあるのに30歳近くになると年甲斐もなくハデな格好はできないと、みんな地味な服へ右へならえしています。

 じつは、私もこうした環境に染まりかかっていたようです。この間フランスへ里帰りしたとき、妹たちは私を見るなり憎悪の悲鳴を上げ、
 「まあ、膝下のスカートなんかはいて、なんという格好なの? まるでオバアさんじゃないの。それにその髪型はなに? 50年代のエディット・ピアフ(フランスの昔の歌手)みたいよ。私が再教育してあげなきゃあ、どうしょうもないわね。日本にいる間に女だってことを忘れちゃったんじゃないの」
と散々なのです。また、母と行ったブティックで「これはちょっと私の歳には若すぎるわ、そっちはハデすぎるし」などと言ってしまい、母から「もう、歳の話はうんざりよ」とたしなめられてしまいました。

 日本にいるうちに、「歳、歳」という癖がついてしまったなんて、この時まで
気がつきませんでした。



   女性はクリスマスケーキみたい…


 
 年齢の暴君ぶりは、話が結婚となると服装どころの騒ぎではありません。日本人は笑いながら外国人にこんな冗談を言います。

「女性はクリスマスケーキみたいなもんだ。24なら引っ張りだこ。25でもまだ大丈夫。26になると引き取り手がぐっと減って、272829なら鼻もひっかけない」。

  うまいことを言うとは思いますが、これが現実かと思うと笑ってはいられません。

 こんなことがありました。某テレビ局に勤める男性が、ご多聞にもれず彼も結婚したがっているので知り合いの女性を紹介することになりました。だれと比べても知性も容貌も遜色のない日本女性。ところが彼は、こちらが写真を見せるよりも先に相手の年齢を訊いてきたのです。
 海外生活の経験もあり、古い考えにとらわれない新人類かと思っていたのに、親の世代と変わらぬ保守ぶりにはびっくりしました。
 
30歳をとうに過ぎているのに10歳も年下の女性を望んでいる口ぶりなのです。相手が処女かなんて訊かれなかったのがせめてもの幸いと、この話は打ち切り、以来結婚相手の紹介は一切しないことに決めました。



イラスト:俵 賢一(大倉山)

 しかし呆れているのは私だけで、世間はこれを当然のこととみているようです。
 東北地方の農村では
41から50歳、さらに60歳の人が20歳そこそこのフィリピン人女性を嫁に迎えようとしているとか。こんな話を聞くと暗い気持ちになってしまいます。彼女たちの10年後の夫婦生活を思うとぞっとせずにいられません。

 私が残念でならないのは、適齢期にまだ結婚していない女性がそれを恥に思っていることです。ヨーロッパにもこういう恥は19世紀まではありましたが、もう随分前から独身だからといって笑われることはなくなりました。
 
 それにしても、こちらでは「行かず後家」とか「売れ残り」とか、随分ひどい言葉がありますね。女性雑誌も既婚者つまり片付いちゃった人向けと未婚者向けに大別できるようで、後者は行き遅れコンプレックス″を助長するような結婚関連記事ばかり。
 私の周りをみても、大抵の独身女性は肩身が狭そうで、結婚相手を掴まえるためならどんなことでもするといった雰囲気です。




   魅力的な独身女性像


 
そんな中に、自分の生活をしっかりと築き、仕事も遊びものびのびとやっている独身女性をみるとほっとします。意外に思うかもしれませんが、彼女たちの自立が近年とみに歳下の西洋人男性を魅了しています。最近私の知り合いの中で、28歳のフランス人男性と37歳の日本人女性が国際結婚しましたが、これは珍しい例ではありません。

  日本女性の顔は西洋人からみるといつまでも少女のようです。私自身、日本女性の年齢が外見から判断できるようになるまでにはしばらく時間がかかりました。それに、魅力的な熟女だっていないわけじゃないでしょ。

  たとえば倍賞美津子や大原麗子。また、十朱幸代が西城秀樹みたいな若いハンサムな男性と浮名を流すなんて、年齢の暴君に逆襲しているようで痛快です。もっとも、日本では芸能界と一般人との常識がかけ離れているようですが……。




  厄年の年齢、このままでいいのかしら


 
毎年の誕生日や結婚記念日を律儀に祝う西洋人にとって奇妙に思えるのは、これほど歳にこだわる日本で歳に関するお祝いが少ないことです。七五三に成人式、あとは還暦、古希、米寿などしかありません。その分、死者に対しては何十回忌までと、随分熱心です。

 フランスには類似したものがないので大いに興味をそそられるのが厄年≠ナす。
 日本人はすごく信じているようですが、一つ疑問があります。平均寿命がかなり伸びている現在、女の
33歳と男の42歳はこのままでいいのかしら。
 新しい厄年をつくるとしたら、女として体に気を付けるのは何歳になるのかしら。東洋の知恵を拝借したい。

 心のほうは、自分でなんとかなりそうです。だって、心は歳とともに衰えたりはしないでしょ。私は10年前よりも若くなったつもりです。皆さんは新しく始まる90年代を前にして、どんな心境ですか。

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