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NO.311 2014.10.19  掲載 

       


  筆者:アルメル・マンジュノ

   
  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師
 

     病院嫌いの病院論(?)
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:平成元年10月10日発行本誌No.48 号名「楮
(こうぞ)」
   


 
 皆さん、お元気ですか。私の方は、日本の夏の暑さにやられて何度も体をこわしたことがあるので、少々不安を抱きながら、夏よ早く終わってくれと祈っています。外国で病気になるのは心細いものです。

  私はお医者さんが苦手なので、ひたすら病が去るのを待つだけで、よほどのことがない限り病院へは行きません。世の中が私のような人ばかりだと、お医者さんは暇を持て余すことになるでしょうね。




   口数が少ない日本のお医者さん


  なぜお医者さんが苦手かというと、日本のお医者さんは口数が少ないので、なんとなく冷たい感じがするからです。
 病状の詳しい説明はしてくれないし、処方する薬にいたっては、飲み方ぐらいしか教えてえてくれないのはザラです。陽気で卒直な看護師さんと比べてみると、考えていることがこちらからよく分からない日本男性の典型のような気がします。
 そういえば、ある皮膚科の先生にかかった時、こんなことがありました。先生は私をざっと診察すると、ぼそっと一言、「たいしたことない」。それを真に受けて放ったらかしにしておいたところ、2週間たっても良くなりません。そこで再び診てもらうと、「こんなになるまでどうして放っといたんだ」と怒られてしまいました。

 あの時の「たいしたことない」には、言外に「ちゃんと治療を受ければ」という意味があったようです。
 日本人同士ならいざしらず、外国人相手に以心伝心や腹芸をやられては困ります。
 これからは、ますます外国人が増えることでしょうから、なるべく言葉をつくして説明するようお願いします
.。



   大病院はもっとイヤ


 
 イヤだとは言っても、時には病院へ行かざるをえないこともあります。そんな時は、なるべく大病院は避けるようにしています。
 町医者よりも設備が整っているには違いありませんが、どうしてもなじめないところがいろいろあるのです。

 まず、あの待ち時間。診察を受けるまで散々待たされ、終わってからは薬をもらうのにまた待たされる。電車が3分遅れてもイライラする日本人が、病院で半日つぶされても平気でいるのが不思議でなりません。人口が多いからしょうがないとあきらめているのでしょうか。

 さて、いざ診断となると、その時間の短いこと……! 聞いてもらいたいことや訊きたいことがまだあるのにと思っても、医師が無言でカルテに記入を始めると、もうそれが診察終了の合図です。

 その上もっとイヤなのは、診察が半ば公開〃で行われることです。カーテン一枚へだてたすぐ後ろに次の患者がいたのでは、こっちの話が聞こえやしないかと気が気ではありません。これほど人々が奥ゆかしい国で、こんなことがあるなんてすごい矛盾じゃありませんか。

 そしてもう一つ(すみません!)。次回も同じ医師にあたることがまずないことです。日本人はあまり気にしてないようですが、私にしてみれば、自分の治療が誰の責任において行われているのか、はっきりしないのは不安なのです。

  西欧では医師と患者の人間関係に関する研究が盛んですが、日本での両者の関係がどうなのか、私は大いに興味があります。



    お医者さんてそんなに偉いの?


 
フランスでは医師を替える時、新しい医師にカルテを回すように頼むことができます。新しい医師は今までの診察結果を参考にできて便利だと思うのですが、日本では特別の場合以外は行われていないようです。
 医師同士の縄張り意識があるせいでしようか。それとも、医師の権威に患者の方が気おくれして言い出せないからでしょうか。

  日本人の医師に対する敬意の払い様は、一通りではありません。退院する時に贈り物をするのを見てもそう感じます。瀕死(ひんし)のところを救ってもらった場合はともかく、病気を治してもらったとしても、医師は医師としての仕事をしたまでのことでしょう。感謝するのは当然ですが、贈り物は行きすぎではないでしょうか。

 日本で医師というと、お金持ちとか社会的地位の高さを連想するようですが、そうしたことに対する尊敬よりも、昼夜を分かたず往診してくれるといった献身的姿勢に対する尊敬こそ本当の尊敬ではないでしょうか。医師とは、本来他人につくす、地味な職業だったはずです。





    日本での“出産”は……


 

さて、女性という立場で病院のことを考える時、気になるのが出産のことです。
 日本で子供を産んだ同胞たちから、こちらでは麻酔を使ってくれないので痛かったという話を何度も聞かされていますが、世界第二の経済大国日本で出産時に麻酔を使わないなんて、本当でしょうか。
 また、お産中に痛みを訴えたところ、「外人はオーバーだから」ととり合ってもらえず、手当てが遅れて2カ月も入院するハメになったなんていうことも、どこかで読んだ記憶があります。なんだか私は日本で子供を産むのが恐くなりました。
 それに、日本でよく言う、“産みの苦しみ”を味わえば親子の絆が強まるなんて、まるで中世の考えとしか思えません。

  西欧人は、日本人のように子供の頃から痛みを耐えるようには教えられていません。必要のない痛みは耐えずに済ませたいのです。



   ガン告知はすべき?


 
一方、我々が苦痛を気高く耐えるべきと考えている場面では、そうさせてもらえないようです。先日、ガン告知裁判の記事を読んで知ったんですが、日本では治癒する見込みのないことを患者に知らせないのが一般的だそうですね。
 病気とその苦痛に耐えるには多くの勇気が必要ですが、いざ死に直面すると現実から目を背けようとするのはなぜでしょう。

  日本人は宗教、社会、政治などを議論する時、相手の立場に必要以上の気を遣い、言いにくいことをぼかそうとする傾向がありますが、これもそうした日本的思いやりの一端なのでしょうか。それとも、日本人同士ならはっきり言わなくとも患者にはそれとなく分かって、立派に往生を遂げるのでしょうか。

 私としては、勇気を持って真実を伝えることこそ医師の使命だと思いますし、自分が不治の病に冒されたら、残された時間がどれくらいあるのかはっきり言ってくれた方が助かります。 死ぬ前にいろいろ整理をしたいのです。家のことや友だちのことをきちんと……思い出の場所にもう一度行ってみたいし……。



                     
イラスト:高橋幸恵(高校生・日吉)

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