編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.310 2014.10.19  掲載 

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  筆者:アルメル・マンジュノ


  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師

 

          日本の花
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:平成元年7月10日発行本誌No.47 号名「橅
(ぶな)」

   

  日曜日の朝は、日吉の丘を下り、スポーツセンターに至る道を歩くのが好きです。そこを通ると、春の訪れとともに、椿・ぼけ・梅・桃・沈丁花・れんぎよう・雪柳・木蓮と順番に咲いてゆくのが見られ、時には俳句をひねる一団とすれ違ったりすることもあるからです。そして、真打ちの桜が散った後の緑もまた格別なのです。
 ここに見られる花は、私の祖国には全く無いか、ほとんど見かけないものばかり。

  春とこうした花のおかげで、私が日本に感じるエキゾチックな一面は、来日以来の長い月日にもかかわらず、未だに色あせることがありません。



アルメルさん、日吉のマンション前で


     木の咲く花を楽しむ日本人


 

北は北海道から南は沖縄まで、日本はたいへん長い国なので、フランスと比べて植物がとても豊富です。旅に出てふと見かける花にも新しい発見があります。ところで、来日以前と今では、私の意識の中にある花という言葉で示される実体に、多少のズレが出ていることに気づきました。例えば、春、木に咲く花を美しいと思う感情は、こちらへ来てから会得したものです。

 フランスにもマロニエのように木に咲く花はあるでしょう、とおっしゃるかもしれませんが、フランス人がその美しさを意識しているとは思えません。

 彼らにとって、それは本当の花ではないのです。私の生家にも桜の木がありましたが、毎年心待ちにしていたのは花ではなく実のほうでした。学校が引けてから木に登り、おなか一杯つめこんだものです。

 
フランス人というか西欧人一般に、花とは野菜のように毎年植え、摘みとるものだ、と思っているふしがあります。
 去年の
4月に里帰りした時、日本化された私がリンゴの花を色々な角度から写真に撮っていたら、母は変な顔をして見ていました。



桜の花を楽しむ日本人

世田谷・砧公園で 撮影:配野美矢子さん




     花を植えて楽しむフランス人


  
フランスでは、多くの市民が小さいながらも別荘を持っていることもあり、園芸はあらゆる年齢層の週末のレジャーとなっています。園芸店の数が日本より多いことでも、それはうなづけるでしょう。ミッテラン大統領でさえ、家では熱心な園芸家だそうです。

 とりわけみんなが競い合って立派な花を咲かせようとするのが玄関前の花壇です。そうした熱をあおるように、各市町村が花のある庭とバルコニーのコンクールを企画しています。

  アルザス地方を旅する機会があったら、街の窓という窓にゼラニウムをはじめとする様々な花が咲いているのにびっくりすることでしょう。春から秋にかけて、街中がお祭りのように華やかな雰囲気になっています。

 フランス人が好んで庭に植える花といえば、グラジオラス・ダリア・アイリス・ルピナス・きんせんか・マーガレット・勿忘草・ミモザなど。要するに、日本ではあまり見かけない花です。



丹精込めて色とりどりの花を咲かせた、玄関先の花壇
 木に咲く花でフランス人が毎年楽しみにしているのは、バラとライラックぐらいでしょうか。
 典型的なフランスの庭を訪れてみたいという方には、画家のモネが住んだ家の庭をお勧めします。パリからさほど遠くないジベルニにあり、夏に行けば楽園と見紛うばかりの庭が見られるはずです。



    花を贈る習慣と自然の中で愛でる習慣



 
「この花束、うちの庭から摘んできたのよ」と言うのは、友人宅を訪れる時などによく出る台詞(せりふ)です。日本ではあまり流行らないようですが、花はコミユニケーションの潤滑剤と考えられているのです。
 面白いことに、日本と比べて宅配サービスがあまり発達しでいないフランスで、花の宅配だけはとても盛んです。それ専門の業者が、全国どこへでも花束を送ってくれます。メッセージも添えて送れるので、誕生日の花束といった定番ばかりでなく、仕事上や友人あるいは家族の間でいさかいがあった時など、仲直りのために贈ることもできます。花を前にすれば怒りもおさまるものでしょう。そのつもりで、日本人の友人と行き違いがあった時に花を贈ったことがありますが、かえって当惑していたようでした。また、そうした場合、私のほうに花が贈られてきたことは、男性からは言うに及ばず女性からもありませんでした。

 日本人にとって花は、高価で選ぶのも面倒だし、持ち運びには不便で、送らせるにも手間のかかる厄介な贈り物なのでしょう。しかし、これほど花を愛する国民なのに、どうして日本に花を贈る習慣が根づかないのでしょう。日本の花は花束になりにくい木に咲く花が多いからでしょうか。

そういえば、フランス人なら花束を持って行って「うちの庭で摘んだのよ」と言うところを、日本人は「今度の日曜日、うちへいらっしゃいよ。庭の藤がとてもきれいなのよ」などと言うのに気づきました。つまり、日本の花は自然の中で愛でるものなのでしょう。それと同時に、日本人は西欧人と比べて、咲く花のはかなさに特別な価値を見出しているような印象を受けます。ほんのわずかしかない満開の時期を見計らって行くのさえ、ひとつの業のようです。

 さて、今年の明治神宮の菖蒲はいつ頃が盛りかな……。私は7月あの花を見に行くのをいつも楽しみにしています。日本人と同じように私もいつかそこで俳句でも作れたらいいなあ、と。



北アルプスを背にした信州・桃の里




明治神宮の菖蒲


菊の花


   “花に囲まれた晩年


 
日本の花はどれをとっても私の目を喜ばせてくれるものばかりですが、菊だけはどうも苦手です。
 子供の頃、毎年
11月(フランスのお盆)にお墓へ供えた花、つまり死者の花というイメージが未だにぬけないのです。
 でも、スーパーの棚に食用の菊を見つけると、いつもうれしくなります。買って帰ることだってあるんです。花が食べられる、ということをこの日本で発見して魅了されない外国人はいないでしょう。

 日本に滞在中の外国人女性の中には、この機会に世界的に知られた生け花を習っておこうという人が多いようです。私はいつか始めてみるかもしれません。皆さんと同じように私の趣味も時と共に変わっていきます。私は、最近盆栽に興味を持ち始めた自分にびっくりしています。以前は気にとめて見たことさえなかったのに……。

 「老後も日本で暮らすつもりですか」と訊かれることがよくあります。それも大抵いぶかるような調子で。私はいつも苛立ちを覚えます。
 だって、人生は時として予想できないことが起こるし、将来何をしているかなんて分からないものでしょう。ま、そういう時は、「八丈島でラン(蘭)を作るつもりです」と答えることにしています。ただの気まぐれですが、本当にそうなるかもしれません。そんな風に、花に囲まれて人生の黄昏を過ごすことを夢見ています。


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