また、贈り物の季節がやってきました。
11月に入ると、どこのデパートも売場という売場がお歳暮一色にぬりつぶされ、人々が押しあいへしあいする様は、日本が贈り物の国≠ニわかっていても、外国人にはびっくりする光景の一つです。
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なじめないお歳暮、4つの理由
このお歳暮というものに、私個人としてはどうしても馴染めないことが4つばかりあります。
まず第一に、贈り物の中身。ハム・食用油・缶詰・コーヒーといったものがどうして贈答品になるのか、フランス人の私にはピンとこないのです。実用的であることは確かですが、それがかえって贈り物らしからぬ感じがして……。
第二は、贈る場合、贈る時、そしてお返しまできちんと形式化されていて、思いがけない時に贈り物をして相手をびっくりさせる楽しみがない点です。びっくりさせて相手を喜ばすのは贈り物の重要な一面かと思います。でも日本ではなんでもない時に突然贈り物をすると、何か下心があるのではないかと勘繰られてしまうんですって!? やっぱり日本人はしきたり≠重んずる国民なんですね。
もう一つは、贈る相手に関してです。「お世話になったあの人へ」というのはお歳暮のCMの決まり文句で、この表現自体は私の好きな日本語の一つですが、何度も連呼されるのを聞いていると、喜んで贈るというよりも義務感から贈るのではないかというような気がしてくるのです。また、初めは強い感謝の気持ちがあったにしろ、次第に惰性になり、かといって急に止めれば相手に変に思われるかも知れないので続けている、といったこともあるのではないかしら。
そして最後は、贈られた物を気易く人にあげてしまうところです。いつだったか年の初めにある人が、「これ貰いものだけど、持ってってよ。いっぱいあって置き場所が無いんだ」といって、誰かのお歳暮をくれたことがあります。
じつは、この時以来、私はお歳暮を止めることにしたのです。自分が贈った物がたらい回しになるかもしれないなんて!
そんな七面倒臭い理屈をこねないで、日本のお歳暮もフランスのクリスマスプレゼントと同じだと思えばいいじゃないですか、と読者の皆さんはおっしゃるかもしれません。
でも、クリスマスプレゼントは殆ど親しい間だけでやりとりするものですし、何よりもクリスマスは内々の温かく陽気なお祭りです。それに、宗教的な起源をもっていることも忘れるわけにはいきません。カトリックの信者だった両親は、クリスマスの日に、近所の一人暮らしの人やお年寄り、家族から遠く離れた外国人などを招いていたのを思い出します。
プレゼントも個性化時代
ところが日本では、祝祭というと、日本古来のものも輸入されたものも、すべてが贈り物や散財をする口実になっているような印象を受けます。クリスマスも、バレンタインも、ホワイトデーも、それから母の日、お雛祭り、そのうえ今年からはボスの日≠ネんていうのまで! これも、いやというほど流されるテレビCMのおかげで定着しそうですね。
こうした商業主義の影響か、贈られた方の喜びは贈り物の値段に正比例すると考えられているようなところがあります。とくに男性にその傾向が強いようです。
女性にプレゼントする習慣は殆どないとはいえ、珍しくそんな気を起すと、やたら値のはる宝石とかタンスの中にぶらさがるだけが運命の毛皮のコートなどを選ぶのです……。また空港の免税品店でお土産を買う日本人の男性を見ていると、なんだか妙におかしくなります。ブランドものならなんでも構わずそそくさと買い込み、まるで面倒な仕事をできるだけ早く片付けたいといったふうなのです。
それでも若い人は大分変わってきたようで、J・のランジェリー・ショップの人の話だと、近頃では若い男性がプレゼントを念入りに選ぶ専門店というのもいくつかできてきたようですね。これからは、贈り物も個性化の時代になることを期待します。
喜ばれる贈り物
ところで、何を贈ったらいいのかアイデアが浮かばない時、お金で贈ることもできるんですね。欧米人はとかくお金で贈るのは失礼だと考えますが、私はそれほど悪いこととは思いません。結婚祝いなど、そのほうが合理的でしょう。ただ、封筒を渡すと中身はお金と決めこんでしまうのは困ります。
これはイギリスに留学した知り合いの日本人男性の体験談です。クリスマス休暇で他の学生がみんな故郷へ帰るというのに、経済的余裕のない彼は、ひとり帰れずにいました。すると、明日国へ発つイタリア人の友人が「必要になったら開けてみなよ」といって封筒を手渡したのです。 数日後てっきりお金だと思って開けてみると、驚いたことにローマ行の航空券″が入っていたそうです。20歳そこそこの青年にしては、すばらしく洗練された友情の表現だと思いませんか。
今年自分が貰って嬉しかったプレゼントを思い返してみると、可愛い手編みのセーター、大好きな音楽を入れてくれたカセット、大きく引き伸ばした写真、梅干し、アフリカ土産のマンゴー2個など、私の好きなものを覚えていてくれた人からの思いがけないものが浮かんできます。
私のほうも、自分で焼いた陶器の格別出来のいいものや、休養が必要な人に温泉の一泊旅行など、相手が喜んでくれる物をと心がけました。
子供の頃、毎年クリスマスになると母からいわれて、第三世界の子供を援助する組織へ貯金箱のお金を少しずつ送っていました。大人になったら、私はこの同じ組織が選んでくれたインドの子供の名づけ親になり、年末に学費を送金しています。年に3万円を超えない額ですが、私の贈り物≠ヘ人の役に立っていることと思います。
真心からではなく、義理やしきたりだけで贈り、受取る方もそうしたものと割り切っているのなら、額に汗したお金をお歳暮なんかに使いたくないというのが私のホンネです。また、自分のほうもなるべく貰わないように心がけています。
「やっぱりこの外人には日本の心がわからない」と言われても、私のお歳暮嫌いは変わりそうにありません。清楚な着物姿のご婦人が相手のお宅へ出むき、ていねいな挨拶をしてお歳暮を渡すシーンはテレビCMによくあるパターンですが、これなら私も日本人の細やかな心遣いを感じとれるような気がします。でも、手紙も添えずにただ相手の家へ送りつけるだけなんて、なんだか寂しいと思いませんか。
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イラスト:山下千代(元住吉)
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