編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子

        NO.305 2014.10.12  掲載


  筆者:アルメル・マンジュノさん


  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師

  このたびアルメルさんは苦手な日本の夏を逃れ母国フランスに数カ月里帰りすることになりました。次回からの原稿はエアーメイルで送ってくださるそうです。母国で英気を養い、フランスでの新たな展開を乞うご期待!

   私の見てきた日本の人びと
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和63年5月20日発行本誌No42 号名「杉」
  


 
今、フランスヘ帰る準備に追われています。今回は、しばらくむこうにいるつもりです。当初は3月半ばに立つ予定でしたが、こちらのお花見に行ってからと、4月初めに出発を繰り下げたのです。それだけ私は日本風に染まってしまいました。

 この連載ではたびたび厳しいことを言ったりしましたが、きようは日吉に暮らす私の毎日を幸せにしてくれる様々なことを書き留めてみたいと思います。



      ふと感じる温かい心


  外国人にとって日本で暮らすというのは、ほとんどの場合、疲れることです。
 
 なにしろ、みんなに注目されていますから。私も、黒い髪と黒い瞳になれたらと何度夢見たことか。でも悪いことばかりではありません。たいてい、ほほ笑みとともに丁重な扱いをうけます。ただし、西洋人のガイジンに限ってですが……。

 私が好きな時間、それは朝、駅へ向かう時です。たくさんの人が「おはようございます」と声をかけてくれます。開店準備中の花屋さん、もう自転車で出かけるそば屋のおじさん、お仕事に行く郵便局の人たちも、駅員さんの中にも愛想よく、「行ってらっしゃい」と言ってくれる人がいます。夜も同じ調子です。「シラスですか。どうして食べてます? ちょっと炒めてごらんなさい。おいしいですよ」と食料品店のおじさん。また、よくお勉強を持って行く喫茶店では、「はかどりますか。こっちへどうぞ。もっと落ち着いてできますよ」。よく利用する文房具屋さんは店の改装プランを私に見せながら感想を求め、フランス人は趣味がいいからと持ち上げてくれます。

 こうしたことはなんでもないことかもしれませんが、私は嬉しく思っています。日本人に外国人を親切にもてなそうとする温かい心があるからでしょう。



      日本女性のすばらしさ!


 
 皆さんが良くしてくれますが、特に女性のかたがたの心遣いにはここで改めてお礼を言いたいほどのものがあります。
 例えばマンションを管理しているマダム。入居以来
10年近くになりますが、仕事が不規則で留守がちな私の面倒をあれこれみてくれるので本当に助かっています。
 それから、
3人のかわいいお子さんのいるお隣の奥様。病気のときに持ってきてくださったスープのおいしかったこと。まだまだお札を述べたい日本女性はたくさんいます。

  そうした中の、私の大好物のリンゴパイを焼いてくれたり、散歩に誘ってくれたりするオバサンがこう言ってくれました。「私がヨーロッパに住んでいたとき、むこうの人たちは温かく迎えてくれたので、そのお返しをしたくて……」

 日本女性の評判は、ずっと昔から西洋に伝わっています。まだ独身の弟までが、毎回手紙で日本の女の子を紹介してくれないかと書いてよこす始末です。
 ただ、よく言われている「日本女性は忍耐強く従順で…」というのはどうでしょうか。私はそれが最大の長所だとは思いません。私が一番感心しているのは、日本女性のエネルギッシュでバイタリティーに溢れているところです。これは歳をとるにしたがって、衰えるどころかますます盛んになっていくようにさえ思えます。特に魅力のあるのが
40歳前後の人たちです。彼女たちは電車の中や道で何のてらいもなく私に話しかけ、しばらくおしゃべりをしていきます。

  私が外国に興味を持つ女性たちと知り合ったのは、こんなふうにしてなのです。みんな素敵な人ばかりです。音楽家、画家、教師、もちろん主婦もいます。
 西洋で言われているように、特別内気だと感じたことは一度もありません。仕事の話しかできない殿方と比べると、より知的で現代的に思えるくらい。ハッキリ言わせて頂くと、女性と付き合ったほうが面白いのです。
 ただ、まだ保守的なところを多く残す日本社会では、彼女たちの才能や知識を十分に発揮させる場が少ないのは残念だと思います。

 また、日本のめざましい経済発展が話題になるとき、企業戦士の猛烈な働きぶりばかり取り上げられますが、男だけの働きでそれを為し遂げたように聞こえてなりません。否定はしませんが、家電、ハイテクなどの輸出花形産業で働く女子工員など、この繁栄を陰で支えている女性も多くいるはずです。
 それに、夫が同僚と過ごしている間、独りにされながらも家庭を守っている妻の存在も忘れてはならないでしょう。たとえ順風満帆といかないときも、謙虚さ、沈黙、ほほ笑みを忘れない彼女たちの姿に私も大いに感化されるところがありました。




     フランスへ帰るにあたって


 
5年も留守にしたフランスヘ帰ったら、浦島太郎のような気分を味わうことになるかもしれません。
 私の家族、特に妹たちは前回帰国したときと同様、日本式に染まった私の着こなしが地味すぎるとか、はっきり本音を言わないとか文句を言うはずです。それに、私が日本のことをあまり話さないのを意外に思うかもしれません。実際、「このあいだ、テレビでこんなことを見たんだけれど、あれは本当?」などとよく訊かれますが、私の口は重くなりがちです。じつは、私個人の主観に片寄ったことを言いたくないからなのです。

  日本は年とともに変わり、私の日本に対する印象も同時に変わっていきました。日本の人々やその日常生活の写真をもっと撮り溜めておけばよかったと悔んでいます。良い写真は百の説明にも勝るからです。



イラスト:高橋正幸(大倉山)

  フランスにはお土産を持って帰る習慣はありませんが、私は海苔やワカメや味噌、小豆などを鞄に詰めておきたいと思っています。できることなら牛蒡(ごぼう)、里芋、こんにゃく玉みたいな日本独特の野菜も持っていきたいです。ある民族の生活や心を具体的に分かってもらうには、やっぱり食べ物から入るのが一番じゃないかしら。

 それでは、行ってまいります。おみやげ話を楽しみにしていてくださいね。

     
   
≪アルメルさんお土産いっぱい持って帰れ歓送会≫

  ――1988年4月2日編集室で盛大にひらく――
 
 当日、編集室のスタッフも忙しい編集の手足を休め、アルメルさんと親しいスタッフたち、創刊時の懐かしい仲間、彼女のご近所のお友だちが集まり、楽しいひと時を。花束を手にご機嫌のアルメルさん
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