編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子

        NO.303 2014.10.17  掲載 


  筆者:アルメル・マンジュノ


  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師


         スポーツの秋
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載“復刻版”

   
  掲載記事:昭和62年11月10日発行本誌No.40 号名「檀
(まゆみ)

   


 
フランスではスポーツというと春と夏ですが、日本では秋がシーズンですね。気候からいってもこの季節が体を動かすのにもってこいだからでしよう。
  私はスポーツが苦手なほうですが、1年前から東横沿線にあるスポーツ・センターに週2回通っています。(最近はこういう施設が増えていますね)。ボディビル、ストレッチ、そして帰る前のサウナ……。
  本当に体が軽やかになります。それにいろいろ面白い体験も!




     日本人は集団・格好・ブームがお好き!


  ちょうど先日、こんなことがありました。私が準備運動をしていると、インストラクターが近寄って来て、「あんまり、まじめにやっていませんね」と言うのです。相手の穏やかな表情にもかかわらず、こっちは大ショックでした。だって私は、上にくそ≠ェつくほどのまじめ人間のつもりでいたんですもん。

  話を聞くうちにその意味が分かってきました。私がみんなと同じように準備運動を順序通りやらないから、不まじめだとそう言うのです。準備運動に順序があるのは、ちゃんとした理由あってのことでしょう。ただ私は場所が空いてなかった時に勝手な順序でやったのです。ともかく、要はやることだと考えていたものですから。

 インストラクターに迷惑をかけてはいけないので、今ではみんなと同じように順序通りを心がけています。でも、フランス人の私にはこれがまじめか否かの問題とは、どうしても思えません。規律正しさの一言につきるのでは……。
 まあ、狭い所にたくさんの人間がひしめいている日本では規律正しさが必要なのも当然でしょう。そのせいか、日本人は集団に難なく同化するスベを身につけていますね。一方、私は自分の国の教育でこれと正反対のものを植えつけられたのです。


 小学枚の通信簿に書かれた先生のコメントを今でも思い出します。「目立たない生徒。従順すぎる。自己主張が足りない」。これを見た母が嘆くこと……! 
 フランスではみんなに迎合するのは、重大な欠点なんです。


 ところで、日本の教育では低学年からスポーツを重視していますね。だからスポーツが人々に根づいているのでしょう。これはフランスも見習うべきすばらしいことだと思います。恥ずかしい話ですが、フランスでは青少年スポーツ省なんて役所があるくせに、学校の体育は週2時間だけなんです。


 スポーツの盛んな日本。それを目のあたりにする欧米人は3つのことに驚くと思う。

 まず第一に、きわだった集団スポーツ志向。同じリズムに合わせて体を動かすジャズダンスやエアロビクスの流行はこのせいじゃないかしら。

 第二に格好へのこだわり。ゴルフにしろ、ほんの初心者までがプロなみの道具とウェアーを揃えているんですからねぇ。小さな男の子が野球に夢中になるのもユニホームにあこがれてでは?

 そして最後は、ブーム現象。有名人のだれかがはじめるとみんなが真似をする。きょうはスキューバダイビング(もうおわり?)、明日は……。



がんばれッ! 日本一めざして〜!



    
 経済もスポーツも日本人は同じ


  
そうはいっても、日本人はひとたび気に入ったスポーツをはじめると熱心にトコトンやるのも事実です。成績や記録に対する意欲が旺盛で他と競いあってトップの座を奪うことに夢中になるのは、経済の場合とそっくりです。新しいスポーツが入ってきてから数年もするとオリンピックでメダルを獲るような選手が出るのも、こうした特徴のおかげでしょう。

 日本のスポーツ選手を見ていて、私が特に好感を持つのは体操の往年の具志堅さんや今の内村くんのような人です。五輪当時の彼らの完璧な演技、そしてあの笑顔やカメラの前での謙虚な態度など今でも鮮明に覚えています。
 ところでしばしば感じることですが、メダルを獲った日本人選手は自分個人より国の誉れを高めたことを誇らしく思っているのではないでしょうか。

 これに比べてフランスの選手は祖国の名誉なんて少しも意識せず、クーペルタン男爵の言葉どおり参加することに意義があると思っているのです。オリンピックでのフランス選手団の惨憺たる成績にも、うなずけますね。

 「がんばります」というのは日本の日常生活、そして特にスポーツでよく耳にする言葉ですが、なかなかフランス語に訳せません。二人称の「がんばって」ならなんとかなりますが、一人称の「がんばります」では……フランス人は日本人のように勝とうとする意欲がない訳ではありません。ただ、日本人ほど自分の限界に挑む気がないのです。

 フランス人にとってスポーツとは、人生のさまざまなもの同様、楽しみと結びつけられています。もし、それが多くの苦労と犠牲をしいるようだと、それはもうスポーツでなく苦役です。
 実際、フランス人を惹きつけるのはスポーツの記録や成績ではなく、その冒険的な側面のような気がします。
 だから、大洋でのヨット・レースや砂漠を横断する自動車やバイクのレースに人気が集まるのです。危険がともなうものだけに、有名レーサーが命を落とすこともまれではありません。記憶に新しいところでは,
86年のパリ・ダカールラリーでディエリー・サピーヌが亡くなっています。また、毎年7月に行なわれるフラ ンス一周自転車レースも、全行程ドラマに彩られた冒険なのです。ついでにいえば、オートバイは日本のように目の敵(かたき)にされることもなく、グライダーやスカイダイビングや登山同様、完全にスポーツとみなされています。



    
 記録に挑戦より出会いの場


 
さて、スポーツ・センターに話をもどすと、毎回その日の成果を記録していることから察するに、インストラクターは私が自分の限界に挑戦するのを望んでいるんでしょう。

 でも、私がスポーツ・センターに通うのは、健康を保ち、マイ・ペースで息ぬきをし、そしてもちろん人との出会いを求めているからです。実際にイタリア人やアメリカ人や韓国人と話す機会がありました。日本人はどちらかというと、脇目もふらずいっしょうけんめいに(これは私の大好きな日本語の言葉なんですけども)トレーニングして、さっと帰ってしまいます。そのひたむきさに感心するばかりです。

  でも、「いっしょうけんめい」そして「まじめに」やるといっても、少しゆとりを持って他の人にも心の窓を開き、一声かけたりしてもいいんじゃないかしら。いつも同じ曜日に行けばたいてい合わせる顔は同じなんですもの。

 日本に来て何年にもなりますが、微妙なところで違っている日本人とフランス人の心理を発見することが、今でもまだあります。
 ともかく、スポーツにしろ他のいろいろなことにしろ、がんばります。



イラスト:石野英夫(元住吉)

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