「どこか静かな喫茶店しらない?」
「じゃあ、ル・セーヌは」
「ラ・セーヌの間違いでしよう」
「ううん、ル″でいいのよ」
「えっ、じゃあ、どういう意味?」「さあ……」
イザベルはフランスからこっちへ来て、まだ日が浅いので、店の名前はパリを流れるセーヌ川同様、ラ・セーヌ″のはずだ、と思ったのです。でも例の店は確かにル・セーヌ″。ウエイトレスに尋ねても、はっきりした説明は期待できそうにありません。
私は多分、ラ…″という名があったので、しかたなく“ル…”にしたんじゃないかと推理してるんですが、真相は藪の中ね……。
こんなに氾濫している外国語
もっとも、こんな話はざらにあることで、日本に来たばかりの外国人は、外国語の名前の氾濫にびっくりさせられどうしです。時には、まだアメリカやヨーロッパにいるんじゃないかと錯覚するほどです。
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なにしろ、喫茶店やレストランは言うに及ばず、パン屋、ケーキ屋、洋服屋、美容院、さらには会社名やその製品名、そしてマンション、アパートを問わず様々な建築物にまで外国語の名前ですからね。
うまい名前がついているのもありますが、大抵は気取りが見え見えで笑っちゃいます。安普請のラブホテルはベルサイユだし、ただのマンションまでが仰々しくシャンポールですからね!
ルイ14世をはじめとするフランスの王様たちは、草葉の陰で嘆いているんじゃないかしら。
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日本語文化を顧みてみよう!
付けられた名前が当を得たものだったり、原語が添えてあったりすれば、私にもすぐ意味が分かります。でも、カタカナだけだと音読できても元の発音とだいぶ違っているので、なかなかそうはいきません。例えば、喫茶店の「クアン・ド・ル」が「コワン・ド・リユ」(coin
de rue =街角)のことだとは、店が角地にあるのに気付くまで分かりませんでした。
こういうカタカナ言葉の使用が、店名や商品名だけにとどまってないから困るんです。
最近の雑誌を開けば、目に飛びこんでくるのはカタカナばかり。服や色の名称ならともかく、「シングルガールのライフ・スタイル・レポート」だなんて! これ、みんな日本語で言えると思いませんか。
えっ! 外人にはこのほうが分かりやすいんじゃないか、ですって。とんでもない。
こうした風潮は、人を煙にまいてやろうという一種の低俗な趣味で、他の国にもみられますが、特に日本ではひどいようです。
フィーリングに憧れる日本人
それから、外国語をそのまま使った看板やレストランのメニ一ユーなどもありますが、よく間違いが目につきます。フランス語についてみると、誤りは大別して二通りあります。
まず第一は、文法や綴り字の間違い。形容詞を名詞の性・数に一致させるのを忘れたり、字を抜かしたり、余計にくっつけたりです。フランス人は、こういう点にとても神経質です。私の友人の中には、いまだに来日当初のように、そうした間違いに目くじら立て、店主にさっそく教えてあげるのが親切だと心得えている者がかなりいます。でも、よく考えてみるとおかしな話で、フランス語の綴りなんて明晰だという評判に反して、本当は結構いいかげんなものなんです。専門家もそう認めています。
第二は、意味がおかしかったり、全然意味をなさなかったりするものです。つまり、フランス語だということは分かるんですが、「カフェ・ド・テラス」のように語順が反対だったり、「コム・サ・ドユ・モード」みたいにあり得ない語の組み合わせだったり、服の商標に「コート・ロティ」(焼いた豚ロース)なんて全く場違いな言葉を使ったりする場合のことです。
多くの外国人同様、私も長いあいだ、カタカナ言葉の氾濫や間違った外国語に腹を立てていました。
でも今は、以前ここで取りあげた東京の建築物の無政府状態に対するのと同じで、大いに楽しんで眺めています。見事に間違っている綴りを見つけると、子供の頃すごく嫌いだった綴り字の勉強に復讐を果たしたような気になるのです。
時々「エスプリ・ド・スキー」って言えますか。Tシャツにプリントしたいんだけど」なんて、助言を求められることがあります。こういうのに答えるのは厄介です。今の例で言えば、一応フランス語の形はしていますが、てんで意味をなさないんです。でも、そう教えてもムダなんです。なぜなら、大抵、相手は自分のアイデアに惚れこんでいて、耳を貸さないからです。それに、言葉の響きに対する感性が違います。美容院に何かいい名前がないか、と聞かれたので、「ブークル・ドール(金色の巻毛)はどう? きれいでしょ」と、提案してみました。確かにフランス人の耳にはきれいな響きです。でも、相手の表情を見て、日本人の耳にはそうじゃないのだと察しがつきました。結局、ついた名前はサロン・ド・サトウ。フランス人には、独想的でも、エレガントでもないのですが…。
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外国語でのコミュニケーションは…
ところで、私がいつも感心しているのは、日本人が新しく入ってきた言葉を吸収する速さです。「レ・コパン」という喫茶店ができれば、それが友達という意味だなんて分からなくても、1〜2回耳にしただけでもう覚えてしまい、使い始めるのです。そればかりか、ハイテクや財テクのように、短かく切ったり日本語とくっつけたり、ライスやアルバイトのように、形はそのままで意味を変質させ、原語とは別の日本語にしてしまったり、本当に舌をまきます。
また、特に若者は「いま、ステディがいない」みたいな、外国語を詰めこんだ表現をすごく日本語らしく使って、私をびっくりさせます。こうした言葉の交雑には好感をもっていますが、一つだけ心配なのは、外来語の使用が増えているにもかかわらず、外国人とのコミュニケーションが以前よりたやすくなったと感じられないことです。言葉の変化は、精神構造の変化よりも速いのでしょうか。
もうすぐクリスマス。例年どうり、外国製のクリスマス・ソングやメッセージが街に溢れます。クリスマスという言葉は同じでも、その意味するところは、アメリカ人、フランス人、日本人にとってそれぞれ違っているのではないでしょうか。
私は商業主義が前面に出るこの時期があんまり好きではありません。
まあ、ちょっと我慢しましょう。
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