編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.289 2014.10.13  掲載 

       


  筆者:アルメル・マンジュノ
 さん

  フランス人(女性)・港北区日吉在住
  アテネフランセ&NHKラジオのフランス語講師


       サラ金 悪魔の誘惑
         

  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和60年4月1日発行本誌No.27 号名「梓(あずさ)」
   


 
前回は電車の中の広告から話を始めたので、今回は窓の外に見える広告から……。  渋谷を出て桜木町に着くまで、どこの駅でもその周辺には、サラ金〇〇とかローン××とかいった看板が林立しています。来日当初、こんなにたくさんナニかしら、とびっくりしていましたが、あとから人に教えてもらって、もっとびっくりしました。



      19世紀に消滅した高利貸


  フランスでは、日本人は慎重で用心深く、賢いアリさん″のように、苦しい時に備えて貯えに励んでいる、と評判なのです。私自身、日本のサラリーマンは、30歳の人で少なくとも20カ月分の給料と同額の貯金を持っている、とフランスの雑誌か新聞で読んだ記憶があります。これで本当にサラ金のお客さんなんているのかしら……。

 高利貸はフランスにもいました。18世紀と19世紀に……。「ユデュリエ」と呼ばれる情知らずの彼らは、当時の文学作品、特にバルザックのものなどにしばしば登場しています。お客の方はといえば、貧民や病人が主で、日々のパンや医者の払いのために借金をしました。まれに、博打で大金をすった良家のドラ息子なども客になりました。

 でもこれは昔の話。いまではこんな職業はありません。1985年のフランス人の多くは、もうユデュリエという言葉さえ知らないはずです。現代のフランス人がお金を借りようと思えば、まっすぐ銀行へ行きます。
 フランスの銀行は、日本と違ってお金を預けても利子を付けてはくれませんが(利子が付くのは別の金融機関)、かなり簡単にお金を貸してくれます。それも妥当な利子で。
 おそらく、フランス人は銀行を公共サービス機関と見なしているのでしょう。こういうわけですから、現在ユデュリエは存在し得ないのです。





        
   普通の人がサラ金地獄に



 
いつの時代にも浪費癖のために借金で首が回らなくなり、銀行からサービスの提供を拒否される人はいます。それは、とりわけギャンブラーの場合で、あの作家フランソワーズ・サガンなどが典型的な例です。でもこれは、変わり者のスターか大金持ちのように、もともと浪費するだけのものを持っている人にしか起こらないもの、とフランスでは相場が決まっています。

 ところが日本では、みなさんのように普通の人が莫大な借金を抱え、経済的破滅状態に陥っている場合が多いのには、びっくりさせられます。しかも、全くのだらしなさからそうなった一部の人を別にすると、たいていまじめで、近所や職場の評判もいい人なのです。そして新聞を開くと、そうした人たちが借金を苦に一家心中をはかるという記事が出ていたりするのです。フランスの新聞では、これに類する記事を見たことがありません。

 日本では、自殺が特別な意味を持っていることは私もよくわかっています。フランスの自殺と比べてみるのは興味深いことですが、今回のテーマからは外れるのでやめておきましょう。

 ともかく、フランス人からすると、どうして、たかがお金のことで死ななければならないんだろう、ということになります。
 もちろん、フランス人は日本のサラ金の恐しい取り立てを知りませんが………。


 



   “賢いアリさん”がなぜ?


 
私個人としては、悲劇的結末よりも、その原因に興味があります。素朴な疑問ですが、いったいどうして彼らはサラ金からお金を借りる必要を感じたのでしょう。新聞を読んでいれば、それがどんな結果を招くかよくわかっていたはずです。

 どうも日本人には、自分の限界というものを心得ず、「すべてをスグに……。……でなければイヤ」というところがあるみたいです。これはクレジットに代表される非常に発達した信用制度のおかげで、誰もが容易に何でも手に入れられるということと、必要のないものまで買いたくさせるCMの洪水によって育まれているのではないでしょうか。こうした背景があるので、サラ金にまで手を出してしまうのだと私は考えます。

 こうしてみると、日本人は賢いアリさん″という評判とは裏腹に、呑気なキリギリス〃と思われているフランス人より以上に楽天家だと言いたくなってきます。




   繁栄がもたらした幻影


 
フランスでもクレジットの制度は発達していますが、私の知る限り、日本のサラ金のような問題に発展するようすはありません。フランスでは、まだ階級意識が根強く残っているのです。OLや下級官吏は、決して自分の生活をブルジョワのそれと競おうなどとは思いません。買えないものは買わないのです。各人が自分の懐具合に応じて、分相応な生活をしているのです。

 結局サラ金は、日本の急激な経済発展によってもたらされた諸悪のひとつのように思えます。みんなが繁栄の恩恵を享受することを望んだけれど、各人のそれを享受する能力が等しくなかったことが、悲劇の始まりでしょう。

 多くの外国人ジャーナリストは、サラ金問題をみて、日本人は祖先から受け継いだ価値感を失い、物質主義者になったのだと結論を下していますが、私はそこまで言うつもりはありません。 自分の財布の現実と幻影の区別ができない夢想家もいるけれど、サラ金とその悪魔の誘惑さえなければ、もう少し大地に足をつけた暮らしをするんじゃないかと思っています。

                
イラスト:石橋富士子(イラストレーター・横浜)

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る