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編集:岩田忠利     NO.252 2014.9.27  掲載 

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   篠原
という

 音楽家三宅洋一郎
 
(フェリス女学院短大元学長)


  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和56年11月1日発行本誌No.8 号名「楓」
   


     
昔の篠原町は、広い


 ひと昔前まで篠原町は東横線の白楽、妙蓮寺、菊名の3つの駅にまたがる大変に広い地域だった。初めての我が家への訪問客が「篠原町は東横線のどの駅で降りたらよいのですか」と知らない人に尋ねて、「妙蓮寺ですよ」と教えられ、遠い道程を歩いて引返して来た人もあったものだ。

 その後、住居表示の改正があって、広い篠原町は幾つもの細かい町名に区分けされた。
 我が家は白楽駅西口から真直ぐに坂を上った高台にある。その名の示すように篠原台町という町名が残されたのは幸いだった。



    昭和6年当時の白楽は…


 
関東大震災でそれまで住んでいた横浜市内の西戸部の家が壊れてしまったので、しばらくの間、東京代々木に寄寓。その後、鶴見に居を移し、私の父が今の篠原台町の土地を見つけて家を建てたのは昭和6年のことだった。私が旧制中学、神中の4年生の時であった。

 その当時、白楽の駅前には数軒の家があっただけ。上り、下りの電車は踏切で渡らねばならなかった。急いで学校に通う時、下りの電車を目の前に見ながら、踏切が閉ってしまい、見送らねばならなかった残念さを今も思い出す。

 駅から家に向う上り坂の両側には一軒の家もなかった。笹薮のなかをやっと人がすれ違えるほどの一本道が通じていた。坂を上り切ると、左側はこんもりした植木の森、右側は深い松林だった。松林を抜けると突然右に下る割に広い砂利道が現われ、坂の途中にある最初の家が我が家であった。それから先の白幡池までは、僅かながら住居が見られた。


 新築の頃にはガスも水道も配管されていなかった。仕方なく深い井戸を掘って水を賄った。その後、高台の斜面に徐々に住宅の数が増すにつれ、水道もガスも延長されて便利になってきた。


   内山さんの知事公舎と迎賓館


 
横浜大空襲の日、この辺りも焼夷弾の直撃で、不幸にも一瞬のうちに焼けた家もあった。その日から一年近くも止ってしまった水道の代りに、この井戸はどれだけ役立ってくれたか計り知れない。近所の数軒を潤す水の源泉となったのだから。

 この近辺が急に住宅地として拓けはじめたのは戦後のことである。向い側の高台には当時の神奈川県知事・内山岩太郎さんが住んでいた知事公舎、その地続きにヨーロッパ風の瀟洒(しょうしゃ)な建物があって、県の迎賓館として使われていた。

  たびたび内外の賓客のために賑やかなパーティーが開かれたものだった。そこからは横浜の街並が見おろせ、横浜の港も遠く山手の丘まで眺められる。
 数年前、どんな事情があったか知れないが、この迎賓館が身売りされ7階建のマンションになってしまった。時代の波と共に公害のためか、枯れる松の木も多くなり、松林も次第に間引きされ、向い側の丘がよく見えるようになった。昔は湿った沼地であった谷間も土で埋められ、道路の向かい側にも住宅が建ち並んでしまった。



白幡池で三宅洋一郎・春恵ご夫妻

                       撮影:川田英明(日吉)
三宅洋一郎さんはフェリス女学院短大教授を経て元学長。ピアニスト・合唱指導者。春恵さんは声楽家。ソプラノ歌手。


   自然が残る私のサイクリングコース


 
それでも現在、駅から僅か数分の我が家の目の前に、いつも四季の移り変りを身近に感じる自然が残っているのは本当に嬉しい。この辺りを愛していた今は亡き内山知事の配慮によるものだと感謝している。緑に包まれた自然が壊されないうちに、県が篠原園地と名づけた遊歩公園を造ってくれたからである。

  チンチョウゲの香りが春を告げ、そのうち樹々の緑のなかに桜の花が咲きはじめ、続いて藤の花、ツツジ、初夏にはアジサイの紫が彩りを添える。家の前のだらだら坂をすこし下って行くと白幡池に出る。
 昔は蓮の花と雑草が一面に生茂る用水池だった。蛙の鳴き声が喧(やかま)しいほどだった。今は市の所有となり、他の中央には2つの噴水が水しぶきをあげ、池の回りを柳と桜の並木が取り囲む小公園として人々の憩いの場所となっている。四季を通じ朝に夕に釣り人たちが釣糸を垂れ、孤独を楽しんでいる姿が見られる。
 この公園が何となく昔の面影をそのままに残しているのは好ましい。
50年も住んでいて、一向に飽きがこないのはこうした環境に恵まれているからであろう。

 とは言っても、未だに忙しい毎日を過している私はこの辺りをゆっくり散歩する時間が持てない。そこで数年前から始めたのがサイクリングである。新鮮な朝の空気のなか、風を切って走るのは気持がよい。

 
坂を下って白幡池のほとりを回って綱島街道に出る。街並を走り妙蓮寺駅を過ぎ、富士塚から八幡神社に通じる広い道に左折する。未だ人影も疎らだ。丘の頂きにある神社まではゆっくりした長い匂配が続く。最後は傾斜が急で苦しいが、登りつめると身体が温かくなる。そこで左に曲り、あとは僅かな上り下りのある細い道を走り続ける。晴れた日には遠くに富士山も眺められる。武相高校の傍の道を通って家までの一周は5キロの道のり。

 気分は爽やかで内からのエネルギーが湧き上ってくる。「きょうも元気で過そう」と思う。ひと走りを終え、朝食を済ませ一日の仕事が始まる。



イラストマップ:素都満里子(大倉山)

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