編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
編集:岩田忠利     NO.251 2014.9.26  掲載 

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 子守歌は蛙の声… 元住吉

     女優・高崎晃子


  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和57年5月1日発行本誌No.11 号名「欅」

   


   瀬谷から元住吉へ引っ越し


 元住吉に住んで5年目になります。駅から家まで歩いて5分、その道を約1825回往復したことになりますね。その間、孤独感とか環境の冷たさを肌で感じたことは一度もありません。

 横浜と東京の中間に住みたい――それが大学3年の春にそれまで住んでいた相鉄線の瀬谷という町から、この元住吉に引っ越してきた理由でした。

 というのも、当時、既に卒業後は都内で働くことを考えていたからです。それで卒業間際に引っ越すのも面倒だと思い、それまでアルバイトで貯めたお金を全部はたいて移ってきたのです。それも試験の最中に。学校が終わると、京浜急行に飛び乗り、東横線に乗り換えて、沿線の不動産屋さんを片っぱしから物色。そしてまた夕方になると、京浜急行で家庭教師のアルバイトに行き、終わると相鉄線で帰る。

 今、考えるとよく、あれで試験がパスしたと不思議なくらいです。いくら好きな東横沿線でも、渋谷駅近くになると、手が出ません。かといって、あまり横浜に近いのも変わりばえしない、そこで渋谷駅と横浜駅のちょうど中間点、元住吉駅に決めたのです。

 「元住吉駅、徒歩15分、井田三舞町」の貼り紙に、最初はちょっと遠いかなと、感じましたが、今ではすっかり慣れて、むしろ健康と美容にはもってこい。歩きながらメロディを口ずさみ、歌を作ったり、セリフの練習をしたり、時には考え事をしたり、それが楽しみのひとつなんです。

 それに、途中に見える団地の窓明かりが、暖かく優しい気持ちにさえしてくれますし、感傷的になることもありますけれど。あちこちに残っている畑や家の庭に咲く花の香りに、忘れがちな季節の移ろいを感ずる時もあります。そんな時、仕事をしている時とはまた違った意味で、生きてるなって感じます。



元住吉の東西口を分断する駅前の大踏切上での筆者
    撮影:三戸田英文(元住吉)



   ケガがご縁で地元の皆様と仲良しに


 
私は元来、ひどい方向音痴です。恥ずかしい話ですが、一昨年の11月、膝の故障で駅の反対側にある関東労災病院に入院するまでは、駅から家までの直線コースしか歩いたことがありませんでした。それが、入院で初めて駅の反対側に足を踏み入れたのです。

 あの入院は、私に元住吉に住んでいて良かったということを実感させてくれました。膝の故障というのは、中学時代、ずっとやっていた陸上競技が原因。それがずっと治らないまま、しかもはっきりとした原因もわ
からず、困っていたものでした。それが、日曜日の夕方、駅前で突然歩けなくなってしまったのです。路上にかがみ込んでしまった私、それを近くの関東労災病院に運んでくださったのは、近くの町内会の方々でした。そればかりか、診察が終わるまで、ずっと病院で待っていてくださったのです。診察の結果、半月板損傷とわかり1カ月の入院で完治いたしました。

  入院してから知ったのですが、そこはスポーツ整形という科のある、その分野では有名な病院で、偶然にも、私は大変いい治療を受けられたというわけです。
 去年の
NHK大河ドラマ出演の数カ月前だったこともあって、今でも感謝の気持ちでいっぱい。

 住む場所というのは、帰って寝るところだと考えていた私にとって、住む街の環境とか、住む人たちが自分に大きく関わってくるなどとは考えもしませんでしたが、この一件で、人の心の温かさに直接触れ、胸を打たれる思いがしました。その後も、町内会の野球大会に応接にいったりして、商店街の方々とも知り合いになりました。




元住吉西口商店街で

 撮影:三戸田英文(元住吉)



   カエルは仲良しのお友だち


 
私が生まれたのは福島県白河市。それなのに、たった4、5年しか住んでいない元住吉が、ずっと長く住んでいる第二の故郷みたいです。

 元住吉は、商店街をはずれると、今でも田畑があちこちにあります。我が家の窓のすぐ下もそうです。
 6月頃の夜は、一晩中、ゲコゲコ、ゲコゲコ、カエルの大合唱です。元気がいいカエルは、窓まで昇ってきたりします。お化けは大キライな私ですが、カエルの声なら安心して眠れます。こんなことは田舎でも経験できなかったこと。今年もまた、もうすぐカエルたちがやってくる季節、今からとっても楽しみです。




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