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10歳のころ、いま住んでいる街に引越してきた。ちょうど25年になる。最寄り駅は武蔵小杉である。
それまでは、佐賀県唐津市の、海のそばの街に住んでいた。白い砂に澄んだ海、そして背後には山があった。遊び場には事欠かない土地だったのだ。
だから、引越してきた当初、困惑したのは家の周囲に遊び場がないことだった。建売住宅のはしりで、田んぼを埋め立てたところに建てられた家だった。
まだいくらか田んぼが残っていたが、まさかその中で遊ぶわけにもいかない。近所の廃工場の跡地や、電車の線路で遊んだりしていた。思えば、危険なことをやっていたものだ。
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悪ガキ時代、そしてその後の東横水郷
転校してきたのが、中原小学校といった。いまは近代的な校舎になっているが、当時は九州の片田舎の学校と大差ないみすぼらしい校舎だった。
その校舎の裏手に、東横水郷と呼ばれる池があった。釣堀だが、普通の釣堀を想像して貰っては困る。新丸子の駅の看板に4万坪と書いてあった。実際、一見したところ池というより湖のような感じだった。ただ、いくつかに区分されていて、畔(あぜ)のような道が何本も通っていた。釣人は、その道か、あるいは小舟を使うのである。
そこが、恰好の遊び場になった。無論、金網などない。釣堀の人が、午前と午後に一度ずつ見回りをするだけである。鮒、鯉、雷魚、ザリガニ。取り放題と言えば取り放題だった。
悪ガキ数人で、よく釣堀の人の眼を盗んでは魚を釣ったものだ。特に雷魚が面白かった。針金をねじ曲げて釣鉤(つりかぎ)を作り、蛙を突き刺して水に放りこむ。何度もそれをやっていると突然食らいついてくるのだ。鮒などとは較べものにならない、強烈な引きだ。
雷魚というやつは顔が獰猛なだけでなく、生命力もたいしたものだった。釣りあげたやつを、新聞紙か何かに包んで一日放っておく。それでも生きているのだ。
それを学校に持って行き、学校の池に放したところ、飼われていた金魚を全部食ってしまった。大騒ぎになったのは勿論である。雷魚の方は、無事古巣の方に釈放となったが、ぼくはうんざりするほど教師に説教を食らい、その上、以後はずっと問題児という札を首からぶらさげられていた。
その東横水郷も、一部を除いて埋め立てられた。20年ほど前のことだったと思う。埋め立てられた広大な土地は、やがて市営の緑地公園に変貌していった。
サッカー場、陸上競技場、野球場、プール、催し物広場、アスレチック、そして金網で囲われた釣堀。グラウンドにはそれぞれナイター設備まであり、公式競技が行われているようだが、ぼくにはあまり縁のない場所になった。
もう少し足を伸ばすと多摩川があり、魚はもっぱらそちらで釣るようになった。東横線の鉄橋の下あたりから丸子橋までが、ぼくのポイントだった。いまでも、鯉ならかなり大きいのがあがるようだ。
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自宅の近くの菩提寺、泉澤寺山門前で
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散歩コースだった等々力緑地
中学、高校、大学と、ずっと都心に通った。大学を出ても10年近くは、武蔵小杉という駅は、ただ帰ってくるだけのところだった。飲む時も、ほとんど東京である。
ところが、数年前から、ぼくは小説家などというやくざ稼業にどっぶりと身を浸すことになってしまった。どうも、健康によくない稼業である。醜く出っ張ってきた腹部を見てぼくはある日、一大決心をした。正午起床を2時間早め、午前中はトレーニングを兼ねた散歩をしようと思ったのである。
しかし、いい歳の男が平日の午前中から散歩というのも、みっともない話である。娘が歩けるようになっていたので、連れていくことにした。それでもみっともないことに変わりはないが、痴漢、変質者の類いに間違えられることはなさそうだ。
最初は、近所の泉澤寺という寺に行った。古い立派な寺である。九州から墓を移して、檀家の末席に連らなっているのに、なんとなくすぐに散歩の場所を変えたのは、墓地が怖いからだ。毎年子供会で、そこの墓地で胆試しが行われ、ぼくはいつも途中で腰を抜かした。小便をチビったこともある。田舎の少年であったぼくは、墓という場所に本能的な恐怖感を持っていたのだ。それがいまも、心のどこかにしみついている。だから散歩の場所は、必然的に緑地公園になった。
昔と較べると、きれいになったものだと思う。反面、つまらないという気分もある。整備された並木道、芝生、庭園。滅茶苦茶をやるにはきれいすぎるのだ。
それでも、散歩にいい場所が近所にあるというのは、うれしいことだった。雨の降らない日はほとんど毎日、娘を連れて緑地公園へ出かけていった。しかし、娘というのは大きくなるのだ。幼稚園に入り、ぼくは散歩のパートナーを失ってしまった。
夜、銀座あたりの酒場を徘徊する以外は、家で鬱然とする日々が、またはじまっている。
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イラストマップ:はらだたかこ(大口) |
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