 |
編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子 |
編集:岩田忠利 NO.248 2014.9.25 掲載 |
★画像はクリックし拡大してご覧ください。
|
 |
 |
心なごむ町、菊名
女性運動家・大槻勲子(おおつきひろこ)
|
|
|
|
沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”
掲載記事:昭和58年1月1日発行本誌No.144 号名「橙(だいだい)」
|
|
|
地名「菊名」の由来
菊名は平坦なところが見当たらないまちで、土地の起伏にそって上り下りの中に、古いものと、豊かな自然と、綱島街道の一日の交通量1万8千台という車の排気ガスに耐えながらの近代生活とが、混在しているところです。
「どちらにお住まいですか」ときかれ、「きくな」と答えるとき、「面白い地名ですね」といわれることが多いのです。菊名が聞くな〃に通ずるようで、この地名の由来を駅の一隅にでも書き置いたらどうか――と思ったりします。地名の由来お尋ねの方には私が、
「駅近くの蓮勝寺は6百60年も前に建てられ、港北七福神の一つで、昆沙門天祭りで有名です。その昔、蓮勝上人は、この地を通りかかって一面の野菊の花の美しさにうたれ、菊名山と名づけられたそうです」
と労をおしまず、ここの住職さんみたいな顔をして説明しています。
物件は「多摩川を越えてから探しな」
私どもが、ここに居を構えたのは20年前、当時東京工大に勤めていた夫が、上野毛駅近くの不動産屋さんの「この辺は社長族の住むところ。大学教授に買えるような土地は、多摩川を越えてから、探しな」との言葉に、いささか憤った。
それでも東横沿線に、と希望をもって探したおかげで、菊名駅近くに、当時北寺尾と呼ばれた、寺尾大根″の産地、いまの上の宮の鎮守の神様、八幡神社の地つづきに住むことができたのです。ときどき思い出しては、あの冷酷な、でも正直な不動産屋さんに感謝しています。
蛙の声がうるさいほどであった近くの田んぼも、畑もつぎつぎと宅地に変わっていったけれど、ここには数百年を経たであろう大イチョウ、クヌギ、ケヤキなど天然の森があり、小鳥や虫の声は絶えず。ときには青大将やムカデにも驚かされ、今夏伊勢の皇大神宮の分社も完成、静かな境内は貴い自然を保っています。なによりも近頃一番むずかしい交通上の地の利と自然環境がこの菊名地域では両立されている。これを、私たちは大切にし、いつまでも守りたいものです。
|

八幡神社鳥居ま横の筆者自宅前で
撮影:岩田忠利
筆者・大槻勲子さんは日本婦人有権者同盟・副会長。
|
|
|
嬉しいご近所の方々の協力
今春私は、とてもうれしい経験をしました。6月にニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会にむけ、わが家の門柱に張り紙をしたのです。
<軍縮特別総会にむけ、核兵器のない平和な世界を求める3千万国民署名にご協力下さい>
と書き、署名用紙とペンを置きました。
始めは、男性の署名が多かったのですが、次第に足を止めてくださる女性の方もふえ、私の留守中に毎日約20名の方が署名されました。約1カ月のうちに500名を超えたのです。用紙がいっぱいになると、つぎの用紙に入れかえてくださるほど。なかには、「カンパ箱は置かないのですか」といわれる方もありました。
あの時ほど地域の皆さまの温かいご協力に感激したことはありません。
“かわさき坂”と古狸
わが家と菊名駅を結ぶ道は、往きはヨイヨイの下り坂。散策の道としても、思索しながらの道としてもよい。哲学の道といいたいような静かで、快い道です。ある時は道筋のお宅のサルスベリの花を観、真正面に富士山の秀峰、遠く篠原の丘がつづく。四方をながめながら、ゆっくり歩きたい道です。かわさき坂″と呼ばれているこの道は、菊名駅の北側から蓮勝寺を通って小机方面と川崎とをつなぐ道であったとか。
いまも私は、この夜道はなんとなく歩けない思いですが、むかし一匹の古狸が棲みついていて、いたずらをした時には薬缶(やかん)に姿をかえて、かわさき坂をころげ落ち、ひとびとを驚かせたという。
それで薬缶坂≠ニもいったという話を聞いていますが、いまも見上げるような土手の上から薬缶がころがってきそうな道です。
物売りボーイがいたハイカラな横浜線
菊名駅は、すり鉢の底のような地形にあり、昔は少々の雨でも線路に浸水し、東横線が不通になるので有名でした。
あの国鉄スタイルの駅舎もなつかしいと思いますが、今は菊名には国鉄の駅長もなく、横浜の表玄関として東横線の駅長サンが、ここの駅長も兼ねているとのこと。港北のセンターとしての菊名地区の表玄関は、近代的な東急の駅と変わったのです。駅周辺は爆発的に変貌し、ベットタウンは横浜線沿線にまで広がっています。
今は国鉄の最旧式の電車の走る路線のようですが、この横浜線は明治41年に生糸貿易のために甲信池方と港ヨコハマを結ぶ鉄道として敷かれ、かつては車両にスマートな物売りボーイもいて、ハイカラ列車であったと聞いてびっくりしています。
駅前の旧綱島街道には広がる余地がないだけに、昔ながらの商店が粧おいを新しくしていて、心なごむ思いで日々の買い物をし、重い袋をさげて、かわさき坂を登るのが常です。
|

イラストマップ:はらだたかこ
|
|
|
|
|
 |
「とうよこ沿線」TOPに戻る |
 |
次ページへ |
 |
「目次」に戻る |
|
|
|
|