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   編集:岩田忠利      NO.247 2014.9.25  掲載 

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 文化の香り 自由が丘

  いソノ てルヲ(ジャズ評論家)


  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和57年3月1日発行本誌No.10 号名「桃」

   



       
     自由が丘との出合い


 慶応義塾大学の2年の時、日吉の校舎へ通学するので東横線を利用していたが、自由が丘で途中下車することが一番多かった。南風座で洋画を見て、今はなくなったが「セシボン」でコーヒーを飲む。ここには珍しいジャズのレコードが置いてあった。
 いつかこんな町に住んでみたいなという漠然とした憧れを抱いていた。
 自由が丘の街としての特色を一言で言うなら文化の香りのする酒落た住宅地と言うことであろう。

 戦前の石井バレー教室とか自由学園の話は後で聞いたことだが、今の東横線の駅は九品仏≠セった。それが自由が丘≠ニ改名し九品仏≠ヘ大井町線の方へ移ったのだそうだ。とにかく、名前からして粋である。英語で言うとリバティー・ヒル≠セ。

 私事にわたって恐縮だが、自由が丘に生まれ自由が丘育ちの家内と結婚したので、この地に住めるようになった。二人の息子はいずれも自由が丘生れである。私はインベイダーだ。


            自由が丘の街の特色


 この街には外国人も住民に溶けこんで住んでいる。私の一番親しい友人、自由が丘ライオンズ・クラブのロバート羽島会長はアメリカ生まれの二世であり、以前住んでいた三丁目の家はお隣の奥さんがアメリカ人の白人、それが上手な日本語をしゃべる。
 外国人が住んでいても、大使館近くの邸宅のように街に溶けこんで住む所が自由が丘の良さだ。

 もう一つ、芸能人が無視されるところも自由が丘の特色である。
 私は放送や解説の仕事の関係で、自分のやっている「ファイブ・スポット」へは、ずい分有名人を連れて来ている。もしこれが下町だったら大さわぎになるところだ。

 しかし、この街はスーパーマーケットにも、レストランにもテレビや舞台で活躍している人がざらに来ている。でも誰もそう言う人をじろじろ見たり、サインをねだったりしない。自由が丘の住人の方が格上なのだ。
 また、住人にとても良い方が多い。下町の人情とは、また違ったモダン感覚の親切さがあふれている。

 自由が丘には毎年
10月に女神まつり≠ニいう街のフェスティバルがある。これも音楽的に酒落たラインナップの催しで、他の地では見られない充実したものだ。

 自由が丘には子供の野球ティーム、ドジャース≠ェある。とても可愛いいユニフォーム姿を見る方も多いであろう。我がロスアンジェルスの本家のオーナーに断って命名したニックネームだ。 本家の方は世界チャンピオンになった。日本チャンピオンの読売ジャイアンツも地元の「楼蘭」で監督・コーチ会議をよく開いている。
 とにかく楽しい街だ。



筆者が自由が丘で直営する「ファイブ スポット」の前で


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