編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
編集:岩田忠利        NO.243 2014.9.23  掲載 

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夢見ヶ崎かいわい

    荒川洋治 (詩人)


  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和55年12月1日発行本誌No.3 号名「柊」

   


    
夢見ヶ崎にある商店街と公園を歩く


 家からは10分も歩くだろうか。散歩道というわけにもいかないが、そう遠くはない近所に、夢見ケ崎銀座と呼ばれる商店街がある。向かいあった店々の庇(ひさし)がとじ合うようにして、細い路地に店屋さんが並んでいる。魚が好きなので、私は、よくここへ足を運ぶ。店の一つにタマゴ屋さんがあって、あたりまえの話だが、店先に白いタマゴが並んでいる。その白いタマゴを左手に見ながら、歩をすすめることになる。タマゴだけを売る、というのはいい。魚屋さんが魚を売るのだから、タマゴはタマゴ屋さんで買いたいものだ。ごく自然なことを、自然なこととして味わえるのはうれしい。

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 商店街を抜け、そのさきにある坂を登ると夢見ケ崎公園がある。標高30メートルていどの小さな山で、その山がそっくり公園になっている。動物園でもある。坂をさらに登っていくと、足もとの方形の石畳に、ところどころ、色ペンキで簡単な動物の絵が描かれている。けさ歩いてみて、はじめてそれを発見した。私が発見したのではなくて、同行の本誌カメラマン川田さんが教えてくれた。
 足元を見ると、70センチ間隔ぐらいで、絵を踏むことになる。ひとの一歩の歩幅であろうか。絵はゾウとかキリンとかいろいろであるが、子どもになって、お風呂場のタイルを踏みしめているような気持ちになる。
 坂がきつくなれば、絵も、歩幅にあわせて早く出てくるかと思ったが、それはなかった。この絵、子どもたちは見つけるだろうが、腰も眼も高くなったおとなたちは、見すごしてしまいかねない。そんなことも思った。

 


夢見ヶ崎公園での筆者

                     
撮影:川田英明(日吉


  太田さんから戴いた「夢」一字と動物園


 いまから500年前、太田道灌がこの地に城を築こうとした。ところがある夜、夢を見た。鷺にカブトを持ち去られるという不吉な夢だったものだから、太田さんは、いまのことばでいうならば、ビビってしまって、築城をあきらめたという。そこからこの夢見ケ崎という名が付いているらしい。夢判断の本でも読んでいれば、太田さんは、またちがった判断ができたかもしれないが、ともかく、太田さんの一件で、「夢」というありがたい一字がこの一帯にもたらされたのである。

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 動物園への道の途中に「愛犬家の皆さんへ」というタテ看板が立っている。その板きれは犬の形をしている。いろいろと注意書きが箇条で書かれているが、最後のところに、「犬の散歩は動物舎に近づかないこと」とある。犬をつれて散歩するひとが多いのだろう。そのまま動物のいるところまで行くひともあるだろう。でも「近づかないこと」というのだから、近づく犬もいるということなのだ。
 動物園にはシマウマとか、サルとかいっぱいいるのだが、鼻をつきあわせるところまでいって、飼い主に制止される犬の表情を想像するのもおもしろい。犬も動物だ。ただオリのなかに入ってないだけのことである。その犬が、そこの動物の“不自由さ”、ままならぬさまを見て、帰ることになる。どんな感慨があるか、などと思ってみる。「オリ詰め」だけはいやだな、と思うのだろうか。


 朝早くにここへ来るのははじめてだが、日中は家族連れでにぎわいをみせる場所である。植込みの草木も手入れがゆきとどいていて、緑がふんだんににおってくる。もう枯葉がまじる季節だが、頂上からは、遠く富士山が見える。



   新駅「新川崎駅」と町内会館


 この公園のすそに、さいきん新しい国鉄の駅ができた。
10月1日のことである。新川崎駅。横須賀線に新設された駅で、この駅をつかうひとは、まだあまり多くはない。これからは大勢のひとが、乗り降りするだろう。駅舎もまだ新しい。コナをふいているように新しい。これから、コナをはらってあたりの景観に、少しずつ溶けこんでいくことになる。新しいものを、あたりを旧くから占めていたものが序々に溶かし込んでいくすがたは美しい。

                  

 さて坂を下りかかると右手に夢見ケ崎町内会館というモルタルの寄合所が見える。雑木のなかに立つしっかりとした2階建ての建物である。先だってここを通ったとき、近所の、つまり「町内」を形成するひとたちがいっぱいあつまって、なにかの相談をしていた。玄関のところに、これまたたくさんのゲタや草履が並んでいた。ぎょうぎよく並んでいた。「町内」のひとたちであるから、「町内」のことを話しあっているのだろう。ちいさな子どもの履き物も見えた。大きな都市のなかの小さな寄合というのは、いい。

                  


 私は原稿を書くのが仕事である。それでもときおりGパンをはいて、家の、遠からぬ近所をうろつく。タバコを買いに行く。缶コーヒーを買いに行く。そのていどである。そしてときたま、思い出したように犬をつれて散歩にいく。だがまだこの犬に、夢見ケ崎の動物を見せてはいない。いつか、坂をのぼって見にいくだろうか。家からはどんなに背伸びをしても、富士は見えないのだから――。でも、この地の名に恥じないように、夢だけは、見ているのだ。



イラストマップ:板山美枝子(綱島)

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