アッシ、人様の世話にならねえ自由気ままなフーテンの石松でござんす
ちょいとみんな、きょうはアッシの話を聞いとくんなさいな。世の中、厭な事ばっかり起きてるようだけど、人生そう捨てたもんじゃないと、この歳になってしみじみ思ってるわけなんすよ。
いえね、アッシは地鶏″っていう種類のニワトリなんだけど、若いときゃ、アッチコッチねぐらを変えて時を告げたもんでさ。 じつはアッシは、綱島街道沿いのこの雑誌の編集室あたりをいつも放浪していた時期があってね。ほら、この辺は夜中でも明るいもんだから、木にのぼったりして時間構わず「コケコッコー」とやって、ちょっとした有名もんだったな。
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極彩色の華麗なアッシの雄姿、カラー写真で見せられねえのは残念だな〜!
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あの頃はまだアッシも若かったし、声にも張りがあって、我ながら惚れ惚れするような鳴き声だった。アッシらみたいなもんは、ふつう、どっかで飼われてて、食うにゃ困らないことが多いんだけど男一匹生き延びるためには、そりゃ危険な目にもたびたび遭ったね。
ある日のこと、アッシは腹が減って何か探そうと、木の上のねぐらから飛び降りたら、すごいスピードで来た車にはねられちまったんだ。飛ぶことのできるこのアッシがだよ。
え、ニワトリは今でも飛べるのかって〜? バカにしちゃいけませんや。アッシらは野鶏の仲間でやんすよ。歳とった今でも現役よ。そいでね、命は助かったからありがたかったもんの、体にケガしちまって、ヒーヒーいってたわけよ。あーあ、アッシもこれにて終わりかなんて……。
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命の恩人、酒屋のオヤジさん
その時だ。今のオヤジさんがアッシを抱き抱えて、家に連れてってくれて赤チンを塗ってくれたんだ。アッシ、ジーンときたね。お蔭さんで傷もよくなって、また飛べるようになったんだけど、オヤジさんのあったか味が忘れられなくてさ、ま、今までご厄介になってるわけ。
なんだね、ここの辺りは、まだまだ人情味あふれる町だね。向い側の八百屋さんはいつもアッシのために青菜をくれるし、近くの米屋さんは精米後の割れた米を届けてくれる……。ホント感謝してんだ。
でも、雄鶏のアッシは玉子を産むという恩返しもできねえしな。
巷じゃ、女子供を襲う鶏がいるから、飼わないほうがいいなんて言うが、そんなことするかい。オヤジさんを悲しませるようなことしたら、この石松、男がすたるぜ。この「石松」ってあだ名も、ちょっとした頑固もんってことで付けられちまって、「両目の開いた石松」だってよ。
アッシは、いつも店の横にいるし、みんなどんどん会いに来てほしいね。そして、店にもちょっと寄ってくれるてえと嬉しいや。え、どこだか教えてくんないとわかんねえ〜?
おっと、ごめん、ごめん。川崎市は中原区、それも西の外れ、店のすぐ横を流れる矢上川の中吉橋の脇、《中山酒店》だ。川の向う側は横浜市の日吉で、この雑誌『とうよこ沿線』編集室からも歩いて5分かな。
じや、待ってっからみんなも体に気をつけて、達者に暮しなよ!
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こうして中山のオヤジさんに抱かれコリャ〜コケッコー!
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