編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
編集:岩田忠利    NO.202 2014.9.06 掲載 

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            日本のお正月     


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和57年T月1日発行本誌No.9 号名「梅」

   
取材・文 :久保島紀子(日吉) / 石井真由美(綱島)




多摩川凧あげ3人衆



      凧作りに魅せられて


  ♪お正月には凧あげて……と歌われるように、お正月にはつきものの凧。

 本来、凧あげは、村々の年中行事であり、部落の競技であった。現在でも各地で、凧合戦や、お節句の凧あげなど昔ながらの風習が残っている所もある。

 「やっぱり凧あげには、北風が平均に吹くような正月頃の風が一番いい」と言うのは、多摩川で13年手作りの凧をあげ続けている、80歳の木村戡(かつ)さん。体力作りのために始めた凧あげが、同時に凧作りにも魅せられていった。

 凧あげは子供の頃やっただけ。骨組みの竹選びから、下絵書き、染料の使いわけ、色づけ、糸目あわせまで、本で調べたり人の凧を見たり、すべて独力。絵を描くのはもちろん、絵筆さえももったことがなく、何色と何色をまぜると、何の色になる、などということもわからなかった。いくつもの失敗を重ねるうちに、色使いも自然と体で覚えるようになり、今では、立派な絵の描かれた凧が家中所狭しと置いてある。

 その数、約二百数十枚。大きなものは6畳の部屋に入らないほどのものから大小さまざま、種類も江戸凧、相良凧、せみ凧、洋凧、その他多種多様。




どうじゃ、見てくれ。わしの手づくり凧! これ、13年間の代表作だよ



      強風のなか、悠々と凧が舞う


 


凧あげを実演して見せる木村さん

ブーンブーンと唸りをあげている凧を見たことがあるだろうか。あれは凧に弓がつけてあって、風の震動で音を発する。弓をつけると、あげるのも難しくなるが、あの音を聞くと、何とも言えない充実感があるという。

 大きな凧になると、人間が浮き上がってしまうほど。体に綱をまきつけて、足腰をふんばる。手は、素手で持つと摩擦でヤケドしてしまう。

 凧あげで一番難しいのは、糸目(凧と綱をつなぐ何本もの麻糸)をあわせること。右が強いとか、左が弱いとか、これが合わせられるようになれば一人前。

 自分の作った凧が、大空を悠然と舞う。「舞い上がった凧が、強い風の中で、ピタッと止まる。その時が好きだ」、木村さんは空を見上げて言った。






10月からお正月の準備、しめ縄作りです



      しめ縄作り、この道40年の名人が語る




名人、板垣藤次郎さん

 最今は、どこの家でも、年末になると、軒を並べる店先からシメ飾りを購入して飾っている。以前は、シメ縄をなうのは年男、女には触れさせないなど、厳粛なしきたりがあった。

 店先で買ってこそすれ、シメ飾りを飾るという風習は、ずっと続いている。

 では、どんな風にシメ縄は作られ、何のために飾りつけるのだろうか。

 この道40年の名人職人、日吉に住む板垣藤次郎さん。古いワラで芯を作り、まわりに、その年の8月中旬、まだ穂に実のできない頃の稲を刈って乾燥させた青いワラをまいて縄をなう。

 だいたい手の感覚でわかるが、同じ太さになるようにワラをとり、片方を足でおさえ、力を入れてしめつける。太い立派なシメ縄が、続々とできあがっていく。これに鯛や稲穂、ウラジロ(裏白)、ユズリハ(譲り葉)、小判などを飾りつけて完成だ。





      しめ縄は、何のために飾る?

 しめ縄飾りの源流は中国。悪鬼を縛るための呪具(じゅぐ)として、藁(わら)で作った縄を、年頭に門前にかかげたもの。
 日本では、稲ワラを用いるようになり、呪術的意味は薄れていった。1年の暦が改まる正月には、神が各家を訪れて、その年の幸福を授けてくれるという信仰があ
る。
 神の宿り木として門松が立てられ、聖域を確保するものとして、諸々の神や門口にしめ縄飾りをするようになった。


 これら正月の儀礼、慣習を廃止させようという動きがあるにもかかわらず、今も根強く残っているのはどうしてだろうか。

 慣習にひきずられ、年末年始の仕来たりのあわただしさを過さないと正月になった気がしないというだけなのだろうか。それだけではない。伝統の底力、神に対する信仰心など、我々をひきつける根強い何かがあるように思う。





日吉の「宮前囃子連中」の獅子舞



      悪魔っぱらいが芸能として生活の中に


 「なんで獅子舞を舞うのでしょうね」と聞くと、きまって、「悪魔っばらいだよ」と、言われる。

 しかし、何十年も獅子舞、お囃子を続けてきた人々にとって、そして当時、それを見物していた人々にとって、それは何よりの楽しみであったという。

 「昔は娯楽も何もなかったから、そりゃあ楽しみだったよ」と、みな口をそろえて言う。
 自然のさまざまな災害を悪霊とみたてていた民間信仰は、獅子を新年の遠来の神として、悪霊を祓う行為が、舞いとなって村人の生活に芸能として結びついた。


 普通、家庭を舞い歩く獅子舞には、舞い手と、横笛、太鼓、鉦(かね)を奏でる囃子方がいる、鉦とは、オーケストラでいう指揮者の役割。だから、他の楽器を助けるものとして、ヨスケという別名がある。横笛などは音を出すだけでも大変だが、舞いにしても横笛にしても、基本のリズムというものがある。
 その基本に、昧が出てきて、初めて本物になるという。眠そうな所、悲しい所、威勢の良い所など、笛の音によって舞いも決まる。


     獅子舞、復活のきざし

沿線各地にも、それぞれの流儀を持つ獅子舞が、いくつも存在している。時期的に一時中断した頃もあったが、最近また、復活させようという動きが、各地で起っている。




横笛は、しめ縄作りの名人・板垣藤次郎さん。オカメの面も板垣さんの手づくり

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