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編集:岩田忠利     NO.201 2014.9.06 掲載 

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 歴史の坂と森の道  

      行人坂から目黒不動
     


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和56年11月1日発行本誌No.8 号名「楓」

   
文・写真 :三戸田英文(フリーカメラマン 元住吉)



      江戸三大大火の火元、大円寺


 ひとりの流れ者は、名を長五郎といった。5日ほど前から大円寺に宿を乞う。カネ目のもの欲しさに寺に火を放つ。

 そのとき明和9年(
1772)2月29日、正午。折からの強風に煽られ火は勢いを増し、桜田一帯の大名屋敷から湯島、浅草、千住の小塚原にいたるまでの幅4キロ、長さ24キロを焼きつくし、当時江戸八百八町のうち630町を炎下にさらす、江戸三大火事の一つとなった。



江戸幕府から70年間も再建を許されなかった大円寺本堂



      行人坂と権之助坂


 目黒と蒲田を結ぶ目蒲線。東急線の母体となった路線であるが、目黒駅といっても目黒区にはなく品川区に属する。

 目黒は目黒川沿いを目黒渓谷と称したくらい起伏の激しいところ。目黒駅はその高台にあり、その高台一帯は江戸時代には「夕陽が丘」と呼ばれ、紅葉と富士の眺めの美しい名所であったそうだ。

 駅を出ると左手にゆるく下って行く道が権之助坂。三井銀行の裏手を左に高度差
25bほどの細い急な下りが行人坂。この行人坂を下りきってしばらく行くと、広い境内の目黒不動だ。

 あまりこの坂が急な坂道で往来に難儀するので江戸時代の中ごろ、この一帯の名主・菅谷権之助が緩やかな道を切りひらいたところから「権之助坂」と名付けられた。この道は中目黒や祐天寺方面へ向かう道である。



目黒不動は参道が長い。広い境内は静寂そのもの




      大円寺と五百羅漢


 大円寺は急な坂道、行人坂の途中にあり、寛永の頃(1624)、出羽国(山形県)湯殿山の行人、大海法印(だいかいほういん)が大日如来を勧請して開かれた寺で、後に修験行人派の本山となり、多くの行人の行き交うところとなり、これから行人坂の名がうまれた。

 明和9年の江戸大火の火元となった大円寺は、江戸幕府に咎(とが)めを受け、70年もの間再建を許されていない。この明和9年を「迷惑(メイワク)の年」として年号を永く安かれという意味で“安永”とあらためられ、ワラブキ建築の禁止、カワラブキが励行されるようになったという。

 この火事による犠牲者の霊を供養するため、釈迦三尊、十六大弟子、五百羅漢の石像群が祀られているが、いまだに悲しみの炎が燃えつづけているようで、訪ねる者を圧倒せずにはおかない。

 羅漢とは、お釈迦様の教えを聞いて、修業し悟りを開き、無我の境地に住む人のことを指して、人の世の苦しみを慰め、癒してくれるそうである。

 大円寺の五百羅漢のなかには赤ん坊をだいた母親の像、他では有りえないものもみられ、各像の台座には大火のときの犠牲者の法名と俗名が刻まれており、人の世の喜びや悲しみなど、さまざまな感情を永遠のときの中に封じ込めているかのように思える。また、この寺の墓地には、西運(さいうん)という上人の墓がある。



五百羅漢の中には自分の身内の人も見出されると……



  行人坂下の雅叙園に八百屋お七の恋人が…


 大円寺から行人坂を少し下ると、都内でも有数な名園とさている目黒雅叙園がある。この敷地に明王院という寺院があり、かつてそこには念仏三味の僧、西運が住んでいた。この僧こそ、悲恋の八百屋お七の情人、吉三その本人である。

 吉三は、延宝10年(1683)お七が鈴ケ森で火刑に処せられた後、僧侶となり、名も「西運(せいうん)」と改め、明王院に入る。目黒不動堂と浅草観音堂の間、往復10里の道を、念仏をとなえつつ、隔夜日参1万日の参詣を成し遂げ、お七の菩提を弔った。



若い頃は八百屋お七の恋人、長じて念仏三昧の僧・西運上人の墓。大円寺に眠る


      町と村の境だった目黒川


 
東京の市街の発展は長い間、目黒川の線で止められていた。川の都心側が急な崖になっていたためで、目黒のタケノコに代表される農産物などを市中に運ぶのにも、このあたりが難所であった。

 さて、行人坂を下り切るところ、目黒川に架けられている太鼓橋。今では平凡なだけで、小さい平橋であるが、江戸時代には安藤広重が名所江戸百景に描くほど絵になるアーチ型の石橋が架かっていた。
 木喰上人により、6年がかりで完成した美しい太鼓橋も洪水で流され、幾たびか改修されたそうであるが、今では名称と欄干のみが昔を伝えている。

 この橋から目黒不動堂までの道には、藤原時代末期作の阿弥陀如来像のある浄土宗蟠竜寺、木造五百羅漢像を有する羅漢寺など多くの寺が集まるところ。
 駅にも近く、喧騒の届くところにありながら、山の手の鎌倉をおもわせるような静寂さが嬉しい。




今は名のみの太鼓橋








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