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    編集:岩田忠利      NO.184 2014.8.28 掲載 

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      37代当主は土佐の高知の、殿様末裔

            香宗我部


                     (横浜市神奈川区旭ヶ丘


                                                 

   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”


   掲載記事:昭和56年3月1日発行本誌No.4 号名「椿」

   
取材・文 :山下二三雄 (神奈川区旭ヶ丘。元銀行員) 



    先祖は土佐きっての武士、香宗我部氏


 香宗我部(こうそかべ)″……。 この姓を初めてうかがったとき、ふしぎにも殿様″を連想したのだった。
 やはり、これがズバリ当った。ご先祖は土佐きっての武士・香宗我部氏、かの地、香宗部落の領主の姓だった。

  清和天皇を始祖とする清和源氏の37代ご当主、一良氏は当年53歳。1男1女の父として東横線反町駅から渋谷寄りに歩いて5分、この地に住んでいらっしゃる。
 栗田谷中学への登り口その高台。公道から
15bほど奥まった石段上に冠木門、さらに玄関と通用門、数段の石段を登って行く。建物の構えといい、古木の庭園といい、いかにも名門旧家としての貫録を備えている。


石段を上って冠木門の前に立つ筆者
 


 応接間は20畳の広さ、カギの手にガラス張り。五葉松、モッコク、モクレンの樹々の合間から東横線を見下ろせる。まず現れたのは、上品でもの静かな奥様。続いて、みるからに武将の容姿のご当主。


    関東に10軒ほどの姓

 最初に珍しい姓″のお話。同姓は横浜市内に4軒、東京に2軒、茅ヶ崎に1軒。ほかに千葉の佐倉の名家と山形県の豪族の名前がスラスラ。一族は関東に
10軒あまりと少ないそうだ。

 「警察にお世話になって新聞ダネになったときは、それが私デス」
 と笑い飛ばす。


    重要書類は国立博物館へ

 
歴史をたどれば、甲斐の武田信玄の祖、一條次郎忠頼の長男でその父は武田信義。後年歴史物語で有名な、かの富士川合戦で平家に大勝した頼朝の勢力に圧倒されて土佐高知に渡った。

  長宗我部家から養子を迎え、香宗部落の領主となった。いまも往時をしのぶヨロイ、カブトなどの武具は、母屋裏の土蔵に眠っている。
 家伝証文目録、系譜、書簡その他の重要書類の多くは国立博物館に寄贈、そのほとんどは高知県史に詳しく収録されているという。



左右の物は、土蔵に眠っていたヨロイ、カブトなど





    事業家2代

 
明治、大正時代の親戚はほとんど軍人。だが、
36代の厳父だけが実業家となる。大正初期に横浜に移り住み、窯業などで事業を広げた。現在のお屋敷は元三菱商事社長・井上治兵衛氏の別荘だったそうである。敷地400坪、平家建て80坪は財界の大物の住まいにふさわしい。


縁側に腰を下ろした当主ご夫妻

 いま、ここにトーア特殊合金且ミ長・
37代ご当主が経営に疲れた身体を錦鯉、ツバキの収集などで癒す。
  帰りぎわ、庭内を案内される。前方に東横線の電車が走る。乗客の顔がはっきり。

  そこでご当主、
 「戦災後、私が立ち小便してたら、友だちが『お前、きのう立ち小便してたな?』」

 なかなか話せる、今様殿様″である。

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