築100年、100坪の邸宅
自由が丘駅から北に向ってクルマで5分。そこが世田谷区深沢。駒沢村と呼ばれ竹林と畑が拡がっていたというこの辺りも、今は駒沢オリンピック公園に隣接した閑静な住宅街。なかでも、ひときわ緑の濃い一画に3000坪の敷地を持つお屋敷がある。
ムクドリなど秋の鳥のさえずりが辺りの静寂を一層深める。ツゲの生垣に沿って歩くと、なかほどで、ゆったりした敷石の道が邸内へ。両側には、ドウダンツツジ、赤松やモクレン、白い八重咲きの見事なサザンカなど、一本一本見とれるほどの樹木が奥行き深く植込まれている。やがて瓦ぶきの長屋門を入ると、植込みの向うにどっしりした茅ぶきの屋根。穀倉、衣裳倉と2つある土蔵のうち、穀倉を左手に見ながら植込みを回って大玄関へ。
100年ほど前に建て直された100坪の邸宅は、薄墨色に鈍い光沢のある昔ながらの玄関の式台、縁側からの上り框の高さ、鴨居の厚みなど、その木肌の歳月を経たまろやかさとともに、名門旧家ならではのたたずまいである。
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屋根面積100坪の茅葺きの母屋 |
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東京最古のゴルフ場の地主
明治時代未から大正時代にかけてご当主の祖父の代には、駒沢公園辺りの地所をゴルフ場に貸しておられたそうで、これが東京最古のゴルフ場「東京ゴルフクラブ」。天皇陛下、宮様方はじめ、外交官、三井三菱など財閥系の人々がゴルフを楽しまれた。そのゴルフクラブも朝霞に移り、やがて戦争が始まると、跡地は防空緑地に指定され、軍部の「印鑑を持って出頭せよ」のひと言で手放すこととなったそうです。
当主は15代目。髪こそ白いが、しゃきっとした姿勢、いい体躯、若々しいお話ぶりで「来年から厚生年金がもらえますよ」と笑われる。
二十数台のクラシックカー
「古い物にとくに興味はないが、古い物がなくなるのは惜しい」とおっしゃるご当主は、クラシックカーを二十数台お持ち。秋の木立に囲まれた裏庭のガレージには、1932年型ロールスロイスをはじめ、パッカードやダットサンなど三十年代の名車が、ずらりと納められている。
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1932年型ロールスロイスのいい表情 |
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古き良き時代、1935年型ダットサンと筆者
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この裏庭から裏門に至る小道は、両側に背丈を越すツツジが並び、盛りには花の壁。世田谷区指定保存樹林の立看板が示すように、邸内には樹齢4〜5百年のケヤキ、シタレ桜、カクレミノなど珍しい大木、数え切れない樹木が旧家の歴史を物語る。この樹木の手入れと、蚊などの防虫対策を年2〜3回講じなくてはならないのが悩みのひとつとか。
家業は、テニスクラブ、貸ビル、駐車場などの経営。その傍ご当主は、自然保護審議会委員、日本フェンシング協会副会長を務められる。
15代を継ぐ心構えは、「家訓を守って」。年の暮れには、末のお嬢様が、この広大なお屋敷からお嫁に行かれる。
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