編集支援:阿部匡宏
   編集岩田忠利     NO.179 2014.8.26 掲載 

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昔の町並
  反町駅付近(最終回)


   沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』の好評連載“復刻版”


   掲載記事:昭和60年4月1日発行本誌No.27 号名「梓(あずさ)」
   
構成・編集 :岩田忠利(編集長) / イラスト ・マップ杉村みゆき(学生。妙蓮寺) 


       二ッ谷通りと反町遊郭

  江戸時代の神奈川宿は、県下の東海道の宿場町の中でも小田原宿を除けば最も繁華な町といわれる。

 神奈川町・青木町を中心とした街道沿いの交通機能と、沿岸漁業の漁師町と、背後に農村を控えた商業町として、また宿場に来る人たちの観光と遊楽街の一面など、いくつもの機能を合わせ持つ都市として発展した。

 それがいま、隣町の横浜に神奈川県下最大の商業地のお株をすっかり奪われてしまっているが、後背地が奥深く「小机街道」と呼ばれ商業の中心地として栄えていた大正時代の「二ッ谷通り」、小説などにも登場する「反町遊郭」、またの名を「青木町遊郭」。

 その昔の町並みを知り尽くした地元の古老の記憶を頼りに再現してみた。
(岩田)

 


        昭和8年6月、二ッ谷通りをゆく洲崎大神大祭の行列

 
江戸時代から神奈川宿へ通ずるこの道は、二ツ谷通りといわれ、奥地の農家の人たちが引く荷車の音や牛馬の蹄の音が一日中絶えないほど往来が激しい通りでした。
 写真は現在の区役所と神奈川体育館との間にある二ツ谷橋のところ。正面の2階建ては左に煎り豆問屋の千葉屋(現在千葉屋菓子店)、右に福富牛肉店(現在反町駅前・六角橋仲見世に出店)、その先に渡辺米店、平野薬局、新藤肉店、伊藤竹カゴ店などが並んでいます。
 通りには牛が引く広台太田町の山車みこしの先頭にチンドン屋の中島チンドンの3人が何やら演じ、その横を牛のコヤシ車と箱型の乗用車とトラックが続きます。
 提供:福田秀光さん(福富牛肉店。松本町)


  昭和18年いつも人糞を汲み取りに来た農耕馬

 現在の青葉区鉄町から小机街道を通って平川町の山田さんの家まで通って来た人馬

 提供:山田正夫さん(平川町)


 昭和28年平川町通り(二ッ谷通り)を走る乗合馬車

通りの名は二谷町では「二ッ谷通り」、隣町の平川町では「平川通り」と呼んだ
  提供:高橋珪次さん(平川町)









 
 大正時代の二ッ谷通り(別名・平川町通り)

  復元:杉村みゆき(編集室編集委員。学生)


                                ★上の画面をクリックし拡大してご覧ください。


                      反町遊郭(別名・青木町遊郭)

 反町駅から第二京浜国道に至る一画に、江戸時代から昭和の時代の戦前まで遊郭があった。

 赤い長ジュバンのおいらん(遊女)の後を、やり手ばばぁが付いて歩く――。

 反町といえばそんな艶めかしい光景を思い出す人も多い。小説にもしばしば登場した遊郭の入り口には「大門」があった。

 商店街の真ん中あたり、姓を新倉と言った床屋「倉床」とウナギ屋「菊屋」の間。この大門をくぐれば、そこが反町遊郭、別の名を「青木町遊郭」の世界だ。

 このマップの復元者・岡部さんと戸塚さんの記憶によれば、大門の通りに
14軒、道をたがえて滝ノ川沿い裏門の通りに7軒、計21軒が軒を連ねていたという。(岩田忠利)



反町遊郭の跡地は、今や反町公園の一角。正面は神奈川区役所
撮影:岩田忠利

  反町遊郭
反町大門通り商店街



  復元者:戸塚正二(松本町2丁目)/岡部由蔵鳶職。上反町)

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